国語は文章が読めればできる。
読めなければできない。
単純な科目である。
そう言うと、「読んでるけどできない」という壁にぶち当たる。
確かにね、「読んでる」んだと思うんだ。
目の前の文字を目にし、その文字で構成された単語や文章を理解し、そのつながりである段落を理解。
内容はどんどん進んでいって、一つのストーリーや論を構成する。
それを「読んで」理解した
はず
なのに
点数が取れない。
この段階になると、点が伸びない理由は2つあると思う。
①設問が理解できていない
つまり、読んだのに、質問された内容を理解していなければ
正しく答えることなどできない。
当たり前だ。
だからこれは「問われていることをしっかり理解できるまで読むべき」というステップに進めば良い。
しかし
僕の肌感覚では、この前に
②実はまだ本文を読めていない
という子達の方が多いように思うんだ。
例えば映画
同じ映画を見ても大きく感動する人がいる一方で、ちっとも感動すらしない人もいる。
途中で飽きちゃう人だっている。
途中、トイレで席を立って戻ってきてもなんとなくストーリーに戻れる人がいれば
もう何も分からなくなってしまう人だっている。
つまり
「視覚」情報から映像として頭に入った情報ですらこうなのだ。
だったら「文字」を能動的に処理、理解していって
それを脳内で映像化しなければならないもので
「読んだらだいたいみんなが理解できる」
なんてことはまずないのではないか。
それを解説したって同じよね?
「国語の文が読める」っていうのはね
「この先何が書いてあるんだろう?」
というワクワク感。
これを持って読めるようにならないと
なかなかその感覚には慣れないんじゃないかな。
本文推測で一気に読む力を伸ばした松江っこ達が何人もいるけど
結局はそこなんだよね。