2人の人間がいて、目の前に困難があるとしよう。
なんとかしてこの困難を取り除かなければ、前には進めない。
そこで一人が頑張って困難を減らしていく。
この時、もう一方の人は何を思い、何をするか。
その困難が大きく、硬いほど
「うわ!ラッキー!」
と思うのではないか。
さらに頑張ると
もはや「お!これで大丈夫」とも思うだろう。
例えばテスト勉強
目の前で先生が教科書を読んで内容理解をサポート。
ワークの進め方をサポートし、時間測定と○つけをやってあげ、反復の動き出しも指示。
その後予想問題を与えて反復。
これ、完璧に子供から「自ら頑張る力」を奪ってるよね?
それに対して対価を払ってるんだから!
という人もいるだろうが
僕はその「子供から能動力を奪う行為」に加担したくはない。
だから
この段階で
「うわ、大きな困難だねぇ。どうしたらいいだろうねぇ」
と声かけをする。
そして、何もしないで見るだけ。
すると子供は困り、もしかしたら何も出来ずにその困難は乗り越えられず、何かしらの不利益を被るかもね。
でも、その失敗体験は必ず自分自身で振り返って糧にするはずなんだ。
そういう子は、次のもっと大きな困難にも何かしらの行動を起こせるんだよね。
かつて何もしないで失敗したから。
でも、誰かのサポートで乗り越えた子は
次も必ずその「誰か」を求めることになる。
最初のうちはいいよ
困難は小さいし、サポートしてくれる誰かもいるはずだから。
でもそうやって自分で頑張る力もないまま先に進んでどうなる?
手取り足取りで高校受験を乗り越えさせて、はいさよなら
その後、その子はどうなる?
松江っ子達はちゃんと自分の足で前に進める。
なぜなら、小中の時からその環境に慣れてるから。
「ほら、どーすんの?自分でなんとかしなさいよ」
って言われ続けてるから。
その先に