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【教育の原点】そもそも学びとは「トライアンドエラー」である

 

何事においても同じである。

 

新たな世界に進み、そこで何かに出会い、そして吸収し、また乗り越えていくこと

 

そこには何かしらのストレスがある。

 

心に波風、と言ってもいいだろう。

 

感動

 

そういうプラスなものでもそれは波風の一つ。

 

それを感じ、我が物とすること

 

これこそ学びなのである。

 

僕ら大人はその波風を「あえて」子供に向けて起こしていかないといけない。

 

そういう環境に子供を置かないといけない。

 

親であれば我が子は可愛い。

 

そして、大事だ。

 

よく「真綿にくるんで」なんて言われるが、家から危ない外の世界になんて出さずに安心安全な場所で大事に可愛がりたい。

 

外の世界で傷つき、困ることなんてしなくていいから

 

そう思い、子供が困っている障害を全部取り除く。

 

 

なぜ取り除かなければならないのかの理由もつけて。

 

それで子供は表情が明るくなるわけで。

 

 

うむ

 

 

きっとそれは親の本能なのだろう。

 

 

 

子供は、いや人間はそもそも楽をしたがるものだ。

 

 

大人はそれでは生きていけないことを経験上知ってるから、何とか受け入れ、立ち止まり、頑張る。

 

その先に何があるかを経験上知っているから。

 

でも子供にはその「経験」がない。

 

だから、ただ「障害」「困難」としか目に映らない。

 

「我慢する」ことを司る前頭葉の発達もまた未熟なわけだし。

 

さあ

 

そこで親の思考がどう働くか、だ。

 

 

それを子供の言うままに「じゃあ取り除くように動くわ」となるか

 

「どう攻略できるか一緒に考えようか」となるか。

 

そこに「教育の原点」があると僕は思う。

 

真綿に包むのも親

 

一緒に乗り越えようと横に立つのも親

 

知らぬと突き放すのも親

 

僕は30年以上、塾を通してずっとずっと思ってきた。

 

目の前の生徒を根っこから強くするには、親の意識と行動を強くしないといけない、と。

 

親単科を開講したのもそうだ。

 

そのためだ。

 

 

塾生、いや学校も含め先生達はみんなみんな分かってるんだ。

 

 

何をすべきなのか、を。

 

ただ、それは本当に難しい。

 

 

特に今の時代はね。

 

 

 

昔、先生は「聖職者」と言われた。

 

 

 

先生がそう言うならそうだ。

 

 

と、まるで今、宗教の経典に多くの信者が無思考で信じるように受け入れた世界があった。

 

 

時代が進み、いろんな要素が絡み合い、先生の地位はどんどん低くなっていった。

 

挙げ句の果てには「ブラック」なんて言われ、

 

ついには成り手不足も顕著だ。

 

誰がそうしたのか

 

何がそうしたのか

 

時代の流れか?

 

もしかしたら、僕はその流れに抗おうとずっと頑張ってきたのかもしれない。

 

教育の原点とは何か。

 

 

 

 

 

 

子供はいずれ一人で人生を切り拓いていかねばならぬ

 

これだ。

 

 

理不尽でシビアなこの現実社会

 

 

 

そして今、人間の力はテクノロジーに取って代わられる流れが大きい。

 

 

そんな中で、真綿に包まれて生きる時間は

 

果たしてどれくらいの長さで良いのか。

 

 

 

いや無理だろこれ

 

 

となり、立ち止まるのか

 

 

 

じゃあどうすれば乗り越えられるか

 

となり思考し、繰り返し挑むのが

 

 

当然ながら後者の勝ちだ。

 

 

勝ち負け論を嫌がる人に向けては

 

 

当然ながら後者の方が楽しい

 

 

 

と言えば伝わるか?

 

 

段差もない

 

穴もない

 

クリボーも出てこない

 

ノコノコもいない

 

 

ただ平坦な道をまっすぐ進むマリオ。

 

 

当たり前だがその先にミニクッパもいない。

 

 

海には魚もいるが、当たっても無傷。

 

 

空のステージでは背中から羽が生えて自由に飛べる。

 

 

そしてまた平坦な道を進み、画面はスクロールされ

 

 

その先に笑顔で待つピーチ姫。

 

 

 

そんなマリオブラザーズ

 

 

 

一体、誰がやる?

 

 

 

人は、困難を乗り越えるときに成長する。

 

 

障壁があるからその前で立ち止まり、その高さを確認し、どうすれば良いのかを考える。

 

 

「ここに壁あるのダメじゃない?」

 

と呟く前に

 

 

「どうすれば乗り越えられるかね」

 

 

と声をかける。

 

 

 

それこそ、子供自身に身につけさせたい思考の根っこではないか。

 

 

「やだこれ、無理。取り除いて!」

 

 

そう言われて「ちょっと待ってて。今何とかするから」となるか。

 

 

今の時代、周りはとにかく「事なかれ主義」で溢れている。

 

 

何を言ってもハラスメント

 

何をやってもハラスメント

 

 

である。

 

 

特に教育の世界はそうだ。

 

だからどんどん子供にとって快適な環境が整えられ

 

そしてそれを「良し」とする親の気持ちも膨らんでいく。

 

 

それが「当たり前」であるかのように。

 

 

だがしかし、いずれ我が子が飛び出していく「現実社会」は全くもって別次元で動いてる。

 

 

今、もうこのタイミングで退職代行業者は大忙しだそうだ。

 

この会社、合わない

 

 

という理由であっという間に辞めていく子達。

 

 

入社式は、そんな新入社員に「感動」と「良い記憶」を刷り込み、少しでも辞めないように「おもてなし」をする場になってる、と。

 

 

 

ああ、バカじゃないの?

 

 

 

と本気で思う。

 

 

 

前から言っているが、日本の「失われた30年間」の根本原因は教育の軟弱化だと思う。

 

 

「先生がそう言うならそうだ」

 

と言える親が減ったのだ。

 

 

もちろん、その信念を貫いて言うべきことを言える先生が減ったのもあるだろう。

 

大きな組織の中で「それはダメだ」と言われる環境も先生を弱くしたのもあるだろう。

 

 

僕はまさに教育の現場にいて

 

 

弱くなる先生

 

強くなる親

 

を見てきた。

 

 

そしてその狭間で何か根本的な強さを身につけず大きくなっていこうとする子供達を見てきた。

 

 

 

だが、それは目の前の子供達にとっては良くないことなんだと肌で感じ続けてきた。

 

 

だからその都度、僕なりに考え、行動してきた。

 

 

一問間違えたらプリント100枚とか。

 

 

今この時代にそんなことをやったらどうなる?

 

 

「いかがなものか」

 

 

とLINEが殺到するだろう。

 

 

昔であれば「それくらいその一問を完璧に習得しなければならないということだ」と諭す親が多かったはずなのに。

 

 

 

 

何だろう、この違和感。

 

 

 

僕がずっと抗い続けてきたもの

 

 

 

だから僕は松江塾を続けているのかもしれない。