子供の学力を誰かが上げようとする時
その瞬間、子供は「勉強する」から「勉強させられる」に変わる。
勉強させられる
という環境や時間は
子供にとって善か悪か
いろんな要素が絡み合い、一概に答えは出ないだろうね。
受験
テスト
そういうものが勉強とはセットだから。
しかし僕は思うのだ。
仮にそういうものとセットだったとしても
やはり最終的に上の方に行ける子達は
「勉強させられる」のではなく「勉強する」のではないか、と。
なぜ彼らはそうなるのか
僕としては「授業」に答えがあるんじゃないかと思っている。
楽しいか
楽しくないか
もう、ここに尽きるんじゃないかな。
知的好奇心を満たそうが満たすまいが
そんなことはどうでもよくて、
子供達にとって「超楽しい!」というガソリンが、少なくとも少しはその科目とリンクしたもので満たされていけば
もう子供は勝手にその科目にポジティブなイメージを持ち、
やらなければならない時に「よし、仕方ないがやろう!!」と、
貯めたガソリンを燃やして頑張れるのではないか?
と、そう思うんだ。
先日、僕の国語精読授業セットを送った方から
「子供が授業受けて笑う姿を初めて見た」
という嬉しいLINEをいただいた。
「子供の中で何かが変わったことが分かる授業」
という言語化も🎵
実は授業って、
これが肝なんじゃ?
大人になっても記憶に残ってる「授業」って
そういう授業なのでは?
と思う。