塾というものを約30年やってきて
もう1000人以上の生徒を見てきた。
ということは、1000もの「家庭」を見たと同じ
「親」を見たのと同じである。
子供は誰が育てているのか・・・親である。
ここ数年は我が天使な「五者キング」奥様が低学年の授業や学習管理をしている関係で、
また自分たちの子育てが終わったのもあって
夫婦の話題の8割くらいが塾や生徒の話になる。
一人一人、いろんなことを話すのだが
必ずと言っていいほど「親」にまで話が及ぶ。
会ったことも話したこともないのに話せるのか?
LINEの文面だけから全てが分かるのか?
と思うでしょ。
違うよ。
僕らはね
子供をよく見ることでその向こうにいる親が透けて見える
んだ。
よく「親の顔が見てみたい」という言葉があるが
そんな必要はない。
子供の表情、態度、言葉、行動、思考
そういったものは、全てその向こうに「親」「家庭」が見えすぎるほど見えるんだ。
僕らは我が子が生まれてから、とにかくいつも一緒に子育てをした。
分担とか協力とかじゃなくて
どの時期であっても「真島夫婦がどっちか一人だけでいるのを見ると違和感しかない」と周りに言われるくらいいつも一緒なんだ。
そうやっていつも一緒にいて我が子らの子育てをしていると
そういう場で「子供と親のセット」を一緒に見てきたことになるよね。
公園でも
習い事でも
少年団スポーツでも
「この親」と「この子供」
というセットをたくさん見てきたわけよ。
そして毎日の「超大量の会話」がある・・・・
当然、一緒に見て、感じたことを徹底的に言語化して分析。
その子のその行動と、その時の親の行動と言葉、そこから価値観の推測
100人?200人?300人?
僕ら夫婦の中に言語化と分析を伴って蓄積された「親子」の姿
当たり前だけど、いろんな「法則」みたいなものが出来上がるわけよね。
その二人が今、松江塾の土台の学年をガッチリ担当しているわけよね。
日常の会話の8割
「その子」について話す時間の連続。
「その子」を通して透けて見える「親」の姿
数百人のデータ化・言語化の蓄積との比較
もうね、分かるんだ。
いつも会話の行き着く先は同じだ。
親が変わらないと子供は絶対に変わらない。何をどこで誰に教えてもらっても親が子供の能力を伸ばす最前線の主役であることは絶対に揺るがない。
これ
本当にこれ。
これはもう、グツグツに煮込んで煎じて一滴も残さずに飲んで血肉にして欲しい言葉だ。
自分の学力とか能力とか経験とか
そりゃ誰かと比べて自信がないこともあるだろうさ
でも
そんなことでどうすんの?
あなたの子供の人生は、これから数十年と続くんだ。
自分が死んでからも続く。
その長い人生の土台の部分を今あなたが作っているわけで
そしてその土台の98%は親であるあなたが作るんだよ。
塾や習い事なんて、2%
いや、もっと少ないかもしれない。
それくらい、「親」なんだよ。
つまり
あなた、あなた達なのよ。