親の言葉の威力は絶大だ。
何も知的なことを話せ、とか
豊富な語彙を浴びせよ、とか
そういうことを言ってるんじゃない。
親の言葉が、しっかりと子供の脳みそに届き、
どういう返答をするかで、子供の脳みそが動いたかどうか。
どういう行動をするかで、ちゃんと指示を頭で理解したかどうか。
そこをちゃんと親自身が見届けること。
そこが大事なんだ。
ここ最近、我が天使な奥様とその話にばかりなる。
ちゃんと話が聞ける子は賢い
ちゃんと話が聞けない子は賢くない
ほぼ完璧に法則化していることである。
声をかけて終わりではない。
その声、言葉を
子供が「目」で受け止めたかどうか。
まずはここから始まる。
こっちを見ていなければ、その言葉は子供に届く前に空中で塵になっている。
意味のない言葉だったのだ。
子供が思考をしないと答えられないような問いかけを今日何回しただろうか。
親の問いかけは「無料」なのに
子供を最も賢くする無敵の教材である。
勉強に関する問いかけとか、そういうことは何も関係ないからね。
「明日の天気はどうだと思う?」
こんな問いかけでもいいさ。
「え?知らない」
子供がこう答えたら、最高だ。
「どう思うか聞いてるのに、知らないって返事はダメだな。やりなおし。明日の天気はどうだと思う?」
親の言葉は無料で無敵の知育教材である。
子は親を選べない。
我が子の成長を望むのなら、まず親が最強の教材になるべく意識と行動を高めねばなるまい。