例えば「雨宿り」という言葉を知っているとはどういうことか。
きっとそこには
にわか雨
が降ってきた瞬間
空を見上げる瞬間
小走り
軒下
袖についた雨を払う
遠くの雲行きを見る
同じく軒下に飛び込んでくる人
時計を見やるその人
空を見つめる他人同士の静寂な時間
「雨宿り」という言葉が子供の中に「1単語」として存在することはない。
そこには前後のストーリー
付随し欠かせない状況
それらを表す語彙が必ずあるはずだ。
言葉を知らない、ということは
その事物や周辺世界の全てが
その子の中に存在しないことを意味する。
存在しないものは想像もできないし、予測も思考もできないことを意味する。
つまり、
言葉を知らなければ知らないほど
子供は原始的な脳みその使い方しかできない。
つまり
賢くはならない。
今も隣の席にいる家族は
両親がそれぞれにスマホを見つめていて
…
子供の幸せを願うのなら
どうか「語彙」を増やし、見える世界を広げてあげて欲しい。