昨日の小5授業で話したことだ。
勉強できなくなってる子は、実は自分でも気づかないうちにできなくなってるって話。
なぜそれに気づかないのか。
よーいドン!
で走り出す競争なら、自分も周りも目に見えて差にすぐ気づく。
しかし、勉強の「よーいドン!」は教室の中で音もなく始まる。

これだ。
昨日は英語の単元ごとのステップで話をしたが
これはそっくりそのまま授業中の「1分」「1秒」に置き換えることだってできるんだ。
その1秒、その1分
それをしっかりと意識を保って、聞くべき対象に目線の焦点を保っていられるか否か。
そこで「差」は生まれ、蓄積されていく。
運動会の徒競走で一番怖いのは何か。
足が遅いこと
転ぶこと
ではない。
「よーいドン!」を聞き逃すことだ。
徒競走ならそれでも他の子達が走り出すのにすぐ気づくが
授業中の「よーいドン!」は、ずっと聞こえないままなんだよ。
怖い怖い