人は言葉で思考し、理解する。
嫌だな
という、その言葉を知らなければ嫌だという感情を自分で理解できない。
赤ちゃんがひたすら泣くのは、不快感を思考し、理解できないからだ。
子供が何かを見る
それが何なのかを知っていれば何かを感時、思考できる。
そして理解できる。
その理解は次の想像へと繋がり、何かを創造するところまでいけるかもしれない。
全ての始まりは「言葉」なのだ。
我が子の言葉を増やそうとしない理由は?

子供が認知し、思考し、理解することのできる世界を増やそうとしないのはなぜだ?
本当にそれでいいのか?
僕がなぜ授業中に雑談を多くするのか。
本来なら、授業でやるべきことではない。
しかし、中には授業をするために必要な言葉すら脳内にない子達もいるんだ。
それでは本当に何も伝わらない。

黒い丸の中でしか生きられない子達がいる。
その外側の世界の言葉を知らないからだ。
日本語しか知らない日本人を想像すれば分かるだろう。
幸いにして日本語には多くの外来語が入ってるから
完璧に日本の中だけでしか生きていけない人はいないだろう。
しかしどこぞの未開の地にする原住民などは?
何も分からない
理解する糸口すら見つけられない。
我が子をそんなふうにして良いのかどうか。
家庭の中で
「部屋暑くね?」
「な」
だけで生きていくのならいい。
一生そこで。
しかし、
「いらっしゃいませ。もうご用件は承りましたか?」
に対して反応できない我が子
どうだろう。
そこかしこに、「頭の子が知らない言葉」はありまくる。
そしてそれはそのまま「あなたの子供が知らない世界」なのである。
我が子の幸せな人生を願うのなら、まず何をすべきか。
人は言葉で思考する。
これを忘れてはならない。