授業を目で受けていない子は伸びない。
どんなに問題集をやっても、だ。
大事なのは目。
これ以外にないと言ってもいい。
もう何度も同じことを書いてきたから。
なぜ同じことを書くのか。
それだけそれが真実に近いからである。
さて
その「目で聞く」ということ。
それは具体的な行動だ。
ただ、それを形だけやっても脳みそに僕の声と意識は届かない。
もっと奥底の意識の部分で何か言語化すべきことはないか・・・
と考えていたら
あった🎵
それは
ここにいろ
この5文字。
授業の場に、「いる」という意識。
ここに学力が伸びていく子とそうでない子の差がある。
体はここにいるが、意識がここにいない。
ふわついてる。
自分がこの授業という時間と空間の中の登場人物だという主体感がどれだけあるか。
おお
確かにそうだ。
これは僕の中ではドキッとする言語化だ。
今このブログを書きながら、ほぼタイムラグなく生まれた言葉。
ここにいろ
うむ。
家庭の中でもそうではないか?
我が子の、家庭内における存在感
ここにいる
という空気をどれだけ出す子なのか
ゲーム
テレビ
そういうものの前で空気のようになっている時間がどれだけある?
それ、そうなる練習をしているってことを忘れちゃダメだ。