何でもそう
物事は「積み上げ」が大事。
得たものは足元に置かれ、それを踏み台にして少しだけ自分を高くする。
そうすると、見えるものや手に届くものが少しだけ増える。
今まで見えなかったもの、手が届かなかったところが
ほんの少し指先が触れる程度になる。
そしてまた何かを積み上げ、足元に重ねて置き、それを踏み台に。
そうすると、さっきまで指先が触れる程度だったものが、指の第一関節が引っかかるようになる。
すると、その感触を認識する。
ざらついたその表面。
あと少しだけ
せめて手首から上までが届けば、力を入れられる。
そう思ってまた何かを積み上げていく。
成長するとか
経験するとか
レベルが上がるとか
って、きっとこういうことを無意識に感じながらやっているんだと思う。
何かを積み上げなければ、見えている世界は変わらない。
触れられるものも変わらない。
そんな日々が数日、数週間続いてしまうと人は「この人生、なんか面白くないな。いいな、あの人は楽しそうで」とか思うようになるんだろう。
まず自分
そして、我が子
この「積み上げ」が昨日あったか、そして今日あるか。
今の瞬間、何を積み上げられるか。
決して大きなものはない。
一つ一つは小さなものだ。
それを積み上げられるか。
どれだけたくさん、どれだけ強固に。
ああ、そうか
でかいマンションの廊下に立ち、床のコンクリートなんかを
目を近づけて見たらいい
肉眼では限界もあろうが、なるべく目を近づけて。
小さな粒々の世界がそこにあるのでは?
その砂つぶよりも小さなものが大量に積み重ねられ、
その巨大なマンションは出来上がっているという想像
人はどこまでも成長できる
もちろんあなたも、そしてあなたの子も。
あそこまで行ってるあの人も
その人も
あっちの人も
みんなそうやって小さな粒々を拾って足元へ積み重ね、積み上げた結果の上に立ってるんだ。