親あるあるだ
まだ世の中の数ミリくらいしか知らない我が子に向かって
「将来何になりたい?」
と聞くこと。
あるよね?
あったよね?
親としては、そんなに深い意味などないのかもしれない。
僕自身もそうだった。
子供だって、そんなに深くは考えてない。
てか、考えられない。
知らないんだから笑
ただ、どこかで見たり知ったりしたことを
なんとなーく口にするだけ。
野球やってる子が「プロ野球選手!」とか
親の職業をそのまま言ったりすれば
親は目を細めて喜ぶ。
「なれるといいね」
って。
でも、
「アイドル!」
とか
「YouTuber!」
とか言うと
「どれだけ大変か分かる?」
とか言ったりしてね笑
まあ、結局は親の欲目の一つなんだろう。
今の時点での答えが子供の将来に何か影響を及ぼすなんてことはないのに。
んで、ここからは少し深掘りしていくよ。
ついてきてな
グサクザ刺さるかもしれへんけど
それが嫌ならここらで引き返すべきやで?
ええんか?
どないする?
ほほう、来たか。
ほないくで
よくある、ダメなパターンの親は
こう思考と行動をとる。
例えば将来「大谷翔平みたいな二刀流のプロ野球選手になりたい!」って言う我が子。
一応、チームではエースで4番!身体もデカい。
少年野球では、掃いて捨てるほどいる存在だが
親にとっては「将来の大谷翔平」にしか見えない。
だから、親子で団結して大谷翔平を目指して毎日頑張ると決める。
そして日々のメニューをこなしていこうとする。
しかし我が子かは我が子。
運を拾うつもりでゴミなど拾わないし
部屋掃除もしないし
本も読まない
部屋には例のマンダラチャートはあるわけで
親は言うんだ
「ほら!部屋掃除しないと大谷翔平になれないよ!」と。
これはこの例に限らずだ。
ピアニストだって
医者だって
社長だって
「将来何に?」
というところから始まると、親子にとっての目標や願望が実際にそうなるタイミングとかけ離れすぎてるんだよ。
だってそうでしょ?
今あなたが何かしらの活動をしていたとして
少し手や気持ちが緩んだ時に周りから
「それじゃ緑綬褒章もらえないよ?」
とか言われても…
ねえ?
それと同じ。
子供の行動厳選は
楽しい!
やりたい!
である。
年齢が低ければ低いほど
今楽しい!
今やりたい!
のはずである。
これは子育て中の人から首もげだろう。
しかし
「将来の夢」の話から始まるとそれは
◯年後に楽しい
◯年後にやりたい
になってしまう。
親はその「◯」をしっかり分かってるから具体的に道を考えられるが
子供はどうだ?
子供は子供だから
いつか楽しい(のだろう)
いつかやりたい(のだろう)
その程度だ。
いつなのか分からない先の安心や楽しさのために
今、苦しみや辛さを感じるものに挑み続けることは
多分不可能なのだ。
いい?
将来、何かになりたいと決めるとはその時の我が子だ。
小さい頃に「医者になりたい」と言って結果的に医者になる子は
ずーっとそれを目標に頑張ったわけじゃない。
多分、勉強であの子に負けたくない、とか
クラスで一番になると気持ちいい、とか
そういうことが毎日の中にあり、
それを目標に勉強と向き合っていたら
あれ?医学部いけるんじゃね?
ってなって、結果医学部に行くんじゃない?
僕はそう思う。
つまり
子供は
将来の夢のために今頑張れるわけじゃない。
次の試合でホームランを打ちたい
あのライバルチームのピッチャーの球を打ってみたい
そのために今日も家の前で素振りをするんじゃないかな
プロ野球選手に!
甲子園に!
あまりにもその「将来」を強くしてしまうと
子供は「今の自分」を見るよりも
テレビの中の大谷翔平
テレビの中の甲子園
それが好きな子になって終わりな気がするんだよね、
どうかな