あのね
人が何かを「分かる」って
「分ける」という能動的動作の先にあるのよね
分かる
っていうのは、能動的な行為ではなく、あくまでも受け身の先にある。
分からされる
と言ったほうが適切かもね。
ワクワクする
とか
感動する
とか、そういうものに近いんだ。
だから受け身である以上は他者からの働きかけがないといけない。
その働きかけを僕が担う。
おそらく納豆英文法が一定数の評価を得ているのは
この時の「分からせる」という点において生徒達の脳みそにダイレクトに届く何かがあるんだと思う。
日本語の子達に日本語で言葉を届ける。
だから理解ができる。
そして毎日シリーズ
生徒達に与えた知識を使って、生徒達は自分で得た知識を「分ける」という行動をする
毎日
能動的に
こうやって自ら「分ける」という行動を能動的にすることによって、自分に自分で「分からせる」ということをやる。
この仕組みが全てガッチリ組み合わさると
松江塾の子達のように英語余裕状態になる。