ずっとそんなことを考えてきた。
我が子が幼稚園児だった時とか
明らかに子育てが下手というか
明らかにやり方まずいだろって子育てのせいで
純粋無垢な子が少しずつ汚れた薄皮を身に纏って行く姿
もう4年生くらいになるとその方向性は明らかに固まり、学力や行動にはっきりと現れる。
あー
あの子
あんなに目がキラキラしてたのに
あれは親が悪いよねぇ
なんて会話を我が天使な奥様と何度したことか。
そんな時、「もしうちで育てたらあんな感じにはなってないよね」
「そうだろうね」
なんて話もよくしたものだ。
何も自分らの子育てが完璧だったとは思わないが
それでもうちらなら、あんな感じにはならなかったはずなんだ。
間違いなく
僕は塾の先生だ。
授業を通して、おそらくそのへんの誰よりも知識の核を子供の脳みそにまるでレゴブロックを正確に積み重ねるように入れていける
その自負はある。
だが、それは1日の中のほんの数分だけ。
それ以外は「はい、お返しします」と親元に返さないといけない。
問題はその先なんだよ。
直接指導できる時間以外の圧倒的に多い時間
そこに僕らは何もできない。
ずっとその時間の教育濃度を上げたくて僕はブログを書き続けてるようなもんなのよ。
でも、届かない時もある。
だからこそ、親単科の開講だ。
これに関して、知り合いの塾長たちはみんな賛同してくれる。
やはり「親なんだよなぁ、結局」っていうのは教育現場にいればかなり早い段階で気づくもんだから。
親の教育力偏差値を上げたい。
そういう育児本の類いは多いが
どうも我が子にジャストミートしないよね?
良いこと書いてあるのは分かるけれど
いまいち現実の子育てと乖離してない?
そのエッセンスを取り入れようって、読んだ時はそう思っても
マニュアル本のように何度も何度も目を通して、なんてことはないのよね。
でも、松江塾に我が子を通わせてくれてる人たちにとっての親単科はどうだ。
あなたの子に毎日のように授業をしている僕が
「塾の授業でこういうことを話したので、それとリンクするように今週はこういう声掛けをしてもらえるとこういうことをあなたの子は考えるので必ずこのタイミングで言ってみてください!」
と、ビタっとリンクするように伝えられるのよ。
嬉しいことに、僕の授業を楽しみにしてくれて、そして英語を武器にしてくれる子は多い。
つまり
僕の言葉は生徒たちの脳と心に届くんだと思う。
届けたい
届くといいな
どうすればもっと届くかな
そんなことだけ考えて30年間生徒たちの前に立ち続けてきたからね。
だから今度は一番やりたかった、「塾以外の空白の時間」に手を伸ばす。
それが松江塾親単科の本質である。