例えば浦和高校
例えば川越高校
例えば市立浦和
例えば浦和一女
例えば川越女子
例えば星野Ⅲ類
いずれも偏差値70前後、70を超えるトップ校だ。
そしてこれらの高校の学年トップ10に松江っ子たちはランクインしている。
先日早稲田の政経への合格を勝ち取った生徒
上記高校の学年1位を取ったこともある。
もちろん「自学」で、だ。
なぜ松江塾で学んだ子は、そういう高みに「自学」で行けるのか。
答えはシンプルだ。
「その位置にいくための行動を経験したことがある」
からだ。
しかも「自分の意思で」だ。
昨日の中3
僕は最初にちょろっと話をした後、残りの時間は全て「自学」とした。
この時期の中3では当たり前なんだけどもね。
何をやるのも自由
「はい、じゃあ残りは自分の勉強して」
の一言で、みんなスッと自学に入る。
これまでの定期テストも、そうやって「何やってもいいのよ」という流れの中で結果を出してきた子達だ。
やるも、やらないも自分
何をやるか決めるのも自分
どこまでやるかを判断するもの自分
そうやって常に「自分で」ということを当たり前にやってきた子達だ。
上がるためにやるべきこと
を、すでに中学3年間の松江塾生活の中で熟知しているのだ。
自分の勉強の進み具合
これを知ってるのは自分
今何点くらいなのか
これも自分で判断ができる。
この感覚は、自分で全てを決めて自分でやってきた子達しか身につけることはできないのだ。
どこにでもいる「その道のプロ」を想像してほしい。
その「その道のプロ」は、今その場で何をやるべきか
全て自分の経験に支えられたものを頼りに行動する。
誰かにやらされたり
誰かに決めてもらったり
誰かに支えてもらったり
もちろん初期の初期はそうだったかもしれない。
しかし
そこから「その道のプロ」になるまでの長い道のりの中でコツコツと「自分で」を積み上げてきたのではないか。
松江塾の子達は、それをそっくりそのまま「勉強」に関してやっているだけだ。
だからその感覚が身に付く。
大きな仕組みの中で「やらされる勉強」を繰り返してきた子達とは
もう
それは
「最初からものが違う」
状態で高校生活をスタートさせるんだ。
そして松江塾2025
その高校生活のスタートを勉強に関しては塾内で「中3の1学期」から初めてしまう。
もう
松江っ子が負ける理由がない。
あー、勝ち負けはどうでもいいか。
松江っ子は高校生活を勉強においては劣等感を感じることなく
「それ、中学時代にやってたわ」
と、楽しみながら3年間を満喫し、
自分の行きたい大学に行く。
いや
行きやがれ!
である。