あくまでも「僕は」である。
目の前には生徒がいる。
提出されてくるものも生徒が考えたものだし、書いたものだ。
塾はそうやって「生徒」「子供」と向き合い、指導する場だと思われている。
そして、それに対して対価が発生する、と。
しかし
僕はこの感覚がない。
自らの子育て経験がそう思わせているのだと自覚しているのだが
結局のところ子供を賢くするのも頑張るようにさせるのも強くするのも忍耐強くするのも馬鹿にするのも怠けるようにさせるのも弱くするのも逃げるようにするのも全ては親なのだ
と。
これはもう、この30年間ブレずに僕の中に実感覚としてある。
目の前の生徒からは、その生徒の人間としての個性と、それよりもはるかに強い「親から与えられたもの」「親の作った環境でしみこんだもの」を感じるからね。
分かるかな?
この感覚
多分、誰だって分かると思うよ。
だって、誰だってこの言葉知ってるでしょ?
親の顔が見てみたい
って。
良くも悪くも、特に若い子や幼い子が何かやったら
どういうふうに育てたらこうなるんだろう。どんな環境でこの子は育てられたんだろう
って思うよね?
だからまず親
親の意識と行動が変わらないことには
子供は絶対に変わらない
三つ子の魂百まで
これは本当にそう。
塾が親の教育方針に口出しするなんておこがましい
とか聞くけどね
僕としては
それなしにはどうにもならんし、何もできない
って感じがするのよね