って、書きながら僕は思考してるわけだ。
まさに今、「思考」のど真ん中にいる。
この状態を言語化すれば、それが「思考力」の正体と言えるはずだ。
今はキーワードとして「思考」というものをふと思いついた。
この「ふと」というのが思考のスタート。
なぜ「ふと」思いついたか。
朝起きて、トイレに行き、ベッドに戻った。
スマホを見ると、松江塾ママブロガーの方々から大量のLINEが来ていた。
そのブログは読者登録をしているから、はてなブログの読者登録のところからいくつか読む。
すると「思考力」についての記事があった。
それが「ふと」のきっかけだ。
思考力、あった方がいいよなぁ
あるのとないのとでは大違いだよなぁ
うん
でもさ、ある、ない、が言葉として存在するのなら
実体、があるはずだよなぁ
何だ?「思考」の実態って…
となって、記事を書きたいと思ったわけだ。
この行動までの一連の流れこそ、まさに「思考」だ。
そして、この記事を含め、その全ては「言葉」で行っているわけよね。
だから、
思考=言語
だと言える。
でも普段、僕らは空中を見て頭の中でモヤーっとものを考えるとき
その「モヤー」をどこまで言語化してるんだろう。
多分、そんなに長い時間、大量の言葉を脳内に「文字起こし」してないんじゃないかな。
実際にブログや日記、Twitterなんかをやってる人は、これよく分かるよね?
書いて初めて思考ってより具体的に可視化されるってことを。
この「書く」ってことは、一人きりでやる作業。
つまり一人での思考。
これを、子供ができるかどうか。
多分、できない。
だから次に出てくる候補が「声に出す」ってこと。
子供は好奇心に引っ張られて「目」で情報を頭に入れ、何かを認識し、感じている。
多分、そこに「言語」による思考はない。
物を物として認識するだけだ。
だからそこに「言語」を並走して与えてあげる。
「赤い花、綺麗だね」
と。
すると初めて子供の脳内に
赤い
花
綺麗
という言語が染み込む。
これが思考の一歩目。
「じゃあ、黄色い花もあるかな?」
と問う。
すると子供はまだ目の前にない「黄色」をイメージする。
これが2歩目。ないものを想像だ。
そして探す。
想像を頼りに現実を合わせようと目が動く。
そして
符合する物を見つけ、声に出す。
「あ!黄色い花あった!」
これが3歩目。
ここまでの思考のステップ。
算数
国語
どちらもそんな思考のステップを内包してる。
なるほど
勉強そのものが思考の反復練習なわけだ。
ふむふむ
奥が深い。
そして、この言語化自体がとても楽しい。