我が真島家では「我慢のポーズ」というものがあった。
我慢ができない人間の末路に関しては
今さらここで言うまでもない。
その我慢力レベルによっては、洒落にならない結果にもなる。
我慢はできないよりできたほうがよい。
何でもかんでも我慢?
いやいや、人はそんなに馬鹿じゃないから。
判断の上で、我慢したほうがメリットが大きいと判断しての我慢。
これが大事。
さて、「我慢」と聞くと「強いる」なんていう言葉とセットになっている人も多いだろう。
特に子育て期は子供の欲が剥き出しになる時期であり
「我慢」というものを「可哀想」と捉える馬鹿親も多いから
どうしても我が子には「強いる」「強いてしまう」と思いがちだ。
しかし、我慢の大切さは前述の通り。
だから真島家ではこの心の問題である我慢を可視化した。
我慢のポーズとして。
両手を胸の前に上げ、ボクシングのファイティングポーズ!
そして「我慢!」と言う。
それを僕らは「うぉーー!かっけー!!」と声に出して笑顔。
一緒にやる時もあった。
買い物に行って美味しそうなお刺身を前にして
「美味しそうだけど今日はカレーだから我慢!」
と僕が目の前で我慢した時もあった。
それを天使が「えらーい!」と言語化。
そしてそれとセットに「じゃあ○○買っていいよ、我慢できたから」と。
天使のその辺りの匙加減は絶妙で、「欲しい」と言ったら買わず、我慢できたら買うというコントロール。
我慢してるフリは100%見抜かれるからやらなくなる。
そうやって育ったゲラおとなし子。
しっかり我慢できる節度のある楽しい奴らになった。