勉強ができる子にとっては楽しみで
できない子にとっては苦痛なのか
多分、そうじゃないんだと
最近特に思うんだ。
例えば足し算。
兄弟間や親子感で、サイコロを1回ずつふって出た目の合計を競うゲームをしたとしよう。
「勝った方がその日のデザートを決められる!」
とか条件をつけて。
想像してみてほしいんだ。
サイコロを手に持ち、その小さな両手の中でサイコロを振り
それをテーブルの上に落とす我が子を。
その目はサイコロに食いつくように注がれ、出た目を確認
「4だ!!」
と叫んであなたの方を見るのではないか?
そして今度はあなたの番。
テーブルの上のサイコロを拾い上げ、
同じように両手の中でコロコロと転がし
「5か6、出ろー」
そう言って、サイコロをテーブルの上に転がす。
もう、子供は身を乗り出してサイコロに目をやるだろう。
「よっしゃ!2だ!!」
そして2回戦目にいく。
その時、あなたはこう言うんだ。
「4と2かー、もう差は2もあるのかー。次でママが3以上大きい数字出さないと負けだわ」
と。
その時、まだサイコロは子供には渡さない。
あなたは言葉を続ける。
「あれ?ということは、君が6とか出しちゃったらその時点でママの負けは確定か!マジか!!」
子供は多分、早くサイコロを振りたくてウズウズ。
でも、あなたの発した言葉「君が6を出した時点でママの負けは確定」に対し、少しだけ意識を向けそうな顔をしているはず。
その時、あなたは言葉を続けるんだ。
「だって、君は1回目に4でしよ?で、ママは2よね。あなたがもし6を出したら、合わせて…いくつ?」
きっとあなたの子供は少し考えて
「10!!」
と言うだろう。
自分の、少し先の得点に対することだから、期待も含めて脳みそはしっかり動くはず。
それを聞いたあなたは「計算、はやっ!」と言ってその続きを話す。
「そうそう。君が10だから、ママが6を出しても2と6だから…」
「8だ!僕の勝ちだ!」
「そうなるわよね。むむ!6が出たら困る!6だけは出ないで!!」
そう言って子供にサイコロを渡そうとする。
子供はもう、6を出したくて出したくて仕方がないはず。
手を伸ばしてあなたの手からサイコロを受け取ろうとするだろう。
でも、まだ渡さない笑
「あれ?もしかして…6じゃなくてもママは勝てないかもしれない」
そう言って、子供の目を見よう。
子供は自分が勝つ可能性を少しでも高めたいはず。
そしてサイコロは出た目が大きい方が勝ちだともわかっている。
だから次に大きい数、「5」について思考し始める。
そうならなければ誘導しても良い。
「もし5なら?」
と。
「4と5だから、9。ママは2だからもし6を出しても…8だ!僕の勝ちだ!え?じゃあ、もし僕が4なら…8か!そしたらママは6を出しても同点だ!」
これをどこまで続けるかは、今の子供の思考を「目」で確認すればいい。
脳みそが前に動いているかどうか、子供の目を見れば必ず分かるから。
さて、随分と前置きが長くなった。
子供にとって、勉強は楽しみなのか、苦しみなのか。
もう分かるよね?
子供の目に映る世界に何を現してあげるのか。
その世界にどう引き込むか
どこまで進ませるか。
子供にとっての勉強が、1秒でも長く「楽しい」であるように
周りの大人は子供の目をよーく観察しなければならないのだ。
ドリル見て目が死んでる時間は、何も吸収しないだけじゃなくて、思考停止しやすくなる練習をしてるってことを
肝に銘じてね。
だから僕の授業はあんな感じになるんだよ!
雑談ばかりで価値なし?
笑