「あの子、東大に行ったんだって」
「プロ野球選手、すごいね」
「ピアノコンクールで金賞とったみたいよ」
親は我が子の心に火をつけたいがために
いろんな「すごい人たち」の結果を子供に伝える。
それがとても分かりやすいからである。
テレビ、雑誌、ネット、いろんなところで分かりやすく目に付くからね。
子供は純粋だから、そういうものを見て
「僕も野球やりたい!」
「ピアノ習ってみたい!」
と言う。
親はその言葉を聞いて
してやったり
と思うかもね。
でも、とても大事なことを忘れてはいないだろうか。
そうやって子供に伝えた「誰かの結果」は
それこそ言葉の全てを尽くしても足りないくらいの日々の努力、挫折、立ち直り、叱咤激励、ライバル、故障、リハビリ・・・
そういう「経過」を経て辿り着ける「頂点」だということを。
子供が夢を持つのは大切なことだ。
夢を持たせることは、親にとっても大切な役割だと言ってもいいだろう。
しかし
結果だけを伝えて目を輝かせるだけで、そこに到達するまでの経過を伝えないのはどうか。
「それを伝えたら最初から嫌がって取り組んでくれない・・・」
と思うのだろうか。
でもね
そうじゃないと思うよ。
そうやって経過、つまり日々の努力を積み重ねることを
かっこいいこと
大事なこと
価値のあること
魅力的なこと
財産となること
できない子が多いこと
だからこそやる価値と意味があること
そして
そういう「経過の大切さ」を今知ったあなたが希少であること
それだけで結果を手にする可能性が格段に高くなったこと
そういったことをどれだけ言語化して伝えられるか
それが大事なんじゃないかと思う。
さらに言うなら、「結果」に憧れを持たせることって
子供の成長にとっては諸刃の剣だと思う。
例えば「東大合格」という結果に憧れを持たせると、
それを達成した時点でその子は「夢を叶えた」となる。
まあ、もちろんそこまで子供もアホじゃないから、純粋に100%ゴールにたどり着いた!
とは思わないだろうが。
でも
東大に合格したことは、それこそ人生の中では「途中経過すぎる」と言っても過言じゃないよね?
「でも東大に行ければ就職も安泰・・・」
?
いやいやいや
東大卒の40歳時点の平均年収って知ってるよね?
確かにいろんな大学の平均年収と比べたら上位にいることは間違いないけど
今、いろんなところで学歴関係なく何千万、何億と稼いでいる人たち
日本にも
世界にはもっとたくさん
いることも分かるよね?
子供に伝え、目標とさせるべきなのは何か。
今すぐには手にすることが不可能な、数年先の「結果」だろうか
それとも
今日、今この瞬間に確実に手にすることができる「経過」だろうか。
今日は子供の日だ。
夫婦で「我が子の人生」を考え、話し合うにはとても良い日だと思う。