昨日から僕は本格的に「プレ講師」としてデビューしたと昨日の記事で書いた。
僕と我が天使な奥様とは毎日たくさんの言葉を交わす。
文字起こしをすれば、きっと分厚い辞書のレベルを超えるのではないだろうか。
当然、約3年間ずっとプレの子達を見続けてきた天使の目を通して
それぞれがどんな能力の子達なのかは事細かに聞いている。
この一枚の紙を見ても分かるだろう。
天使な管理能力と把握能力が。
だから間接的にそれぞれの能力や個性は分かっていた。
そして昨日、その全てをこの目で見た。
なるほど
なるほど
なるほど
やはり、小4以上と同じ
もしくはそれ以上に「あること」に気がついた。
我が子が文章を読めない
漢字が書けない
計算ができない、遅い
そういう「読み・書き・そろばん」が勉強の柱だと思われているし、
それも間違いはないだろう。
しかし
その土台にあることにもっとしっかり着目してほしいんだ。
それくらい如実に差が出ていることとは・・・
「人の話を目で聞く」
やっぱりここ。
本当にここ。
事前に天使から
「よくできる」と聞いていた子たちは、ほぼ100%目で聞いていた。
そして、「まだまだ時間がかかる」と聞いていた子たちは、これまたほぼ100%目で聞けていなかった。
これは完璧な差だった。
見事なまでの完璧な差。
顔を上げて目が生きている子達と、下を向いている子たち。
人の話に込められた「情報」という宝物を純度100%で吸収する子たちとしない子たち。
「読み・書き・そろばん」
は、その純度100%の宝物をたくさん積み上げた先にあるってことを
僕ら大人は忘れちゃダメだ。
これ、多分しっかりと伝わっているはずだし、きっと理解できると思うんだ。
でも、ある程度の「目で聞かない」という習慣ができてしまっている子たちは
「目で聞きなさい」と言ってもなかなかできるようにはならない。
小4以上でも僕は毎日のようにそういう子達と戦うから。
じゃあ、家庭でどうすれば「目で聞く」ということができるようになるのか。
方法は簡単だ。
親であるあなたが子供の話を目で聞けばいい。
それだけだ。
自分の話を親が目で聞いてくれ、驚き、笑い、納得してくれる。
この満足感は子供にとってとても大切な経験になるんだ。
目で聞くということが「コミュニケーション」というものの当たり前だと刷り込まれていくんだ。
目を合わせずに日常会話が成立してしまうのが家庭という空間だ。
僕が常々言っている、「夫婦仲が良い家庭は学力の高い子が多い」というのも
ここに直結していると思うよ。
仲の良い夫婦は、きっと会話が多い。
当たり前のように目を合わせて会話をするだろう。
その様子を幼少期から見ている子供は、
人と話をする時に当たり前のお手本が目の前にあるんだよ。
子供の学力が高くない
どうも理解力が低いような気がする
そう感じているのならば
これまで子供の話をあなたが目で聞いてきたかどうかを思い出してもらいたいんだ。
きっと、今日から大慌てで我が行動を変えたくなるはずだから。
もう一度言う。
教室の中に存在する「学力差」は、僕の話を目で聞いているかどうか
こことほぼ100%直結している。