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川越にある松江塾!代表真島による何でもブログ!

母親ならポテサラくらい作れよな

昨日の帰宅後、世間的には夜食だが

 

僕にとっては日常通りの夕飯を食べた。

 

毎日毎日、呆れるくらい美味しい

 

我が天使な奥様の夕飯。

 

一度たりとも料理を学んだことはない

 

何から何まで目分量!

 

と豪語するが

 

とても繊細な味

 

誰が食べても美味しいと感じるだろう。

 

そんな美味しさを噛みしめながら

 

いつものように僕と一緒にいなかった数時間にあった出来事を嬉しそうに話す奥様。

 

僕はそんな彼女の話を聞くのが

 

殊の外楽しいのである。

 

ゲラおのこと

 

なし子のこと

 

プレの丸つけのこと

 

犬3匹のこと

 

実家の両親のこと

 

そんな話の中で出てきたのが

 

今巷で話題らしい、

 

「母親ならポテサラくらい作れよな」

 

と言い放った老人の話

 

である。

 

内容については多分知っている人も多い?のかな?

 

知らない人はググってみてほしい。

 

さて

 

これについて

 

僕らが話したのは

 

そもそも人は人、自分には関係ないというスタンスは大事だということ。

 

さらに

 

「〜くらい」とか「〜でいいよ」

 

といった、些細なところでの言葉選びが大事、ということ。

 

 

 

 

「母親ならポテサラ作れよ」

 

「母親ならポテサラくらい作れよ」

 

この違いは大きい。

 

前者のほうには、母親やポテサラに対する思い入れやリスペクトを感じるよね。

 

 

 

 

「お昼は焼きそばでいいよ」

 

「お昼は焼きそばがいいよ」

 

お昼ご飯を作る方からしたら

 

この違いも大きいよね?

 

焼きそばは、手間かかるよ?

 

決して、「でいいよ」

 

と言えるものではないね?

 

 

 

 

んー

 

でもね

 

話の根元は

 

そういったことでもないと思うんだよね。

 

 

自分の意見なり主張というのは

 

タイミングとベクトル

 

が大事なんじゃないかな。

 

 

スーパーの惣菜コーナーで

 

見ず知らずの親子連れに言い放ったのは

 

論外

 

意味不明

 

キモい

 

不審者か?

 

それしかない。

 

だからどうでもいい。

 

問題は夫婦間、家族間において

 

「その一言」

 

のタイミングとベクトル

 

そして、前後の言葉の流れ、言う時の表情

 

そもそも土台となる「相手との関係」

 

こういったもの全てをごちゃ混ぜにしながらも

 

しっかり微に入り細に入り把握して

 

するり

 

と言葉を出す。

 

僕だって、その全てが完璧にできるかと言われれば

 

そりゃまだまだ無理だよ

 

でも、塾の先生をやっていると

 

コミュニケーションの奥深さを感じずにはいられない。

 

 

 

さて

 

僕なら

 

「ポテサラ」

 

 

なんて伝えるだろうか…

 

 

最適解があるのか、ないのか…。