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【中学英文法】なぜ日本の子達にbe動詞が一番難しいのか

 

それは

 

日本語には「不要」な語だからだ。

 

おっす!オラ、悟空!

 

これが日本語だ。

 

うわ!寒っ!!

 

これもそう。

 

日本語は、言語としては極めて特殊であり

 

だからこそ世界でも習得が難しいとされているのだ。

 

今書いたことが全てだと思うのだが

 

日本人にとって、英語が難しいのではない。

 

日本語自体が極めて難解なルールによって成り立っていて

 

僕らはそのルールによって話し、思考する。

 

だから英語のようなシンプルな言語でも

 

違いが大き過ぎて難しいと判断するんだと思う。

 

ある程度の年齢になり、さまざまな知識を学ぶ中で

 

あー、なるほどね

 

そういうことか!

 

と「腑に落ちる」という経験があれば英語を「学習する」ための扉は開くのだが

 

小学生なんかは、この「腑に落ちる」という経験がそもそも多くないし

 

見た目からして受け入れにくい英語に関して「腑に落ちる」ということがかなり難しいのである。

 

 

さて、前置きが長くなった。

 

 

では、題名の内容に入っていこうと思う。

 

日本の子達に「be動詞」が難しい理由について。

 

そもそも、日本語の中にある「be動詞」に相当するものはなにか。

 

この文で考えてみよう。

 

これはペンです。

 

我々世代であれば、まず英語と言えばこれだ笑

 

こんなことを言う機会は日本語でもかなり少ないだろう。

 

まあ、それはさておき、

 

これを言う時の状況をよく考えてみるよ。

 

まず登場人物は自分と相手。

 

相手は一人でもいいし、複数でも良いだろう。

 

目の前には一本のペンがある。

 

それを手で掴み、持ち上げて

 

そして相手に見せながら言うわけだ。

 

これはペンです。

 

と。

 

この時、自分の口から出て、相手の耳に入っていく言葉をゆっくりと解析してみる。

 

 

①これは

 

まず、この言葉の時点でこれから言う言葉、文の対象となるものに自分と相手の意識を向けさせる。

 

自分の目はペンと相手を交互に、もしくはほぼ同時に見るかもしれないが、言われた相手の視線はほぼ100%ペンに向けられる。

 

これが言う自分としての最大のミッションだ。

 

②ペン

 

相手の視線がペンに集中している状態で、いよいよその視線の先の物体が何なのかを言語化する。

 

ここでは、僕らが普段ペンと認識できないような形のものを想定すると分かりやすいかもしれない。

 

例えば…パスタほどの太さと色とかね。

 

そうすると相手の意識はかなり鋭く覚醒する。

 

え?ペンなのか?パスタなのか?

 

と。

 

そしていよいよ

 

③で

 

この時点では、実はまだ何の情報も確定していない。

 

いや、そもそもこの「で」があることで相手はかなり中途半端な状況に放り投げられる。

 

そもそもこの「で」がなければ情報は一つに確定していたのだ。

 

これはペン。僕が毎日使うものです。

 

ほら、ね?

 

ところが「で」がついたことで、相手はさらにその後の言葉を待たなければならなくなる。

 

おお、なんという最恐言語、日本語!

 

どういうことか分かる?

 

これはペンでとても使いやすいんです。

 

これはペンではありません。

 

これはペンですか。

 

ほら、この時点ではまだ相手は情報の核心部分は何も分からないのだ。

 

ここが日本語最大の欠点というか、特徴だと言えよう。

 

つまり、文の最後まで聞かないと情報の核心部分が何も把握できない

 

のである。

 

 

④す

 

おお、これでいよいよ終わりか?

 

と思った人も多いはずだ。

 

なぜなら、この時点で

 

これはペンです

 

と、文が完成したように見えるから。

 

ところが、だ。

 

最恐日本語はそんなに生やさしいものではない。

 

まだ情報の核心には到達させてくれない。

 

なぜなら…

 

これはペンです

 

最後にこの一文字がついた時点で、相手はいきなりボールを投げられるわけだから。

 

さっきまではたた話を聞いていれば良かっただけなのに

 

最後に「か」がついた瞬間、聞き手から話し手に変わるよう強制されるわけだから。

 

これはしんどいよ?

 

歯医者にいって、治療台の上に寝て、口を開けて待ってたら

 

やってきた歯科医が器具を手渡してきて、自分のすぐ横で大きな口を開けながら

 

「虫歯治療してください、ほら!」

 

と言ってくるようなものだから。

 

え?いきなり?俺が?

 

ってなるよね。

 

これは

 

ペン

 

です

 

か?

 

 

いきなりの質問タイム、返答タイムの強制だ笑

 

 

 

え?パスタに見えるけど、ペンかどうかだって?知らんがな!!

 

ってなるよね笑

 

さらにさらに

 

まだ文はここで終わらないかもしれないよ。

 

 

 

これはペンですか「ね」

 

なんて、最後に「ね」が付いたら?

 

 

今度は話し手と聞き手の間に何が始まる?

 

 

一緒に考える相談タイム

 

 

 

の始まりである笑

 

 

 

 

 

……

 

………

 

 

いやぁ…、何このハードモード言語…

 

 

日本語、やばくないか?

 

 

言語って本来、相手に情報を伝えるためのものなのに

 

日本語のその役割って、低いというか、効率悪いというか…

 

 

もうさ、be動詞なんてどうでもいいというか、あまりにも日本語の中に「be動詞に相当するもの」がなさそうすぎない?

 

さて、ここまででなんとなく分かってきたと思う。

 

日本語というものの特性

 

日本語話者達の頭の中

 

日本語話者達同士の会話の空気感

 

僕はこの一連の流れを

 

日本人特有の歴史と紐づけることにしてる。

 

つまり

 

ほぼ単一民族で、農耕民族という歴史を辿った日本人ならではの流れだ。

 

今はクマが人を襲うと話題だが

 

アフリカやアジアのように、人に危害を加えるような獰猛な動物がいない日本

 

本当は詳しく学べばオオカミとか野犬とかいたのかもしれないが

 

今日本で暮らす子達にはさほど日本は「人間に敵対する動物」がいないイメージだろう。

 

そして、生きていくために米を作る。

 

春にスタートし、そこから様々な手入れの工程を経て

 

最後にみんなで収穫。

 

つまり、日本人は生きていくために必要なメインの食べ物が

 

できるまでみんなで待つ

 

ということを必要としてきたわけだ。

 

つまり

 

同じ環境、空間でみんなで争うことなく共同生活をしないといけない。

 

だから話は長く

 

大事なことは最後まで聞かないといけないからそこにずっといないといけない

 

そして自分の言葉で相手がどう反応するかをチラチラ見ながら言葉尻を変えていく

 

さっきの文で言えば、

 

これはペンです

 

と言い切ろうとした時点で、相手が興味なさそうにしてる

 

やばい

 

このままだと自分は話題の中心から排除される!

 

だから

 

これはペンですか?

 

と、相手を会話に巻き込もうとする

 

しかし!

 

その瞬間相手がギョッとして少し嫌そうに見える

 

だから

 

これはペンですかねぇ

 

と、自分もその思考に参加するよう仕向ける

 

 

こんな感じで日本人は相手の反応を見ながら瞬間的に言葉を付け加えていくわけだ。

 

これが進化したのが日本人特有の

 

空気を読む

 

とか

 

気遣い

 

言わずとも分かる

 

なんていう、海外の人から見たら特殊能力とも取れる「日本人」を作り上げたのだろう。

 

おもてなしの心

 

なんていうのもね。

 

さて、だいぶ前置きが長くなった。

 

しかし朝5時半に目が覚め、特にまだ急いでやることがない51歳男性

 

もう少々お付き合いいただこう。

 

そんな感じで「大事な結論はまだまだ言えない」日本人。収穫の時までみんなで仲良く待たないといけないから。

 

ところが、だ。

 

日本以外に目を向けてみようか。

 

周りには「動く食糧」がいる。

 

そしてその食糧は得るのに危険を伴う。

 

そう…肉食の世界だ。

 

狩りの世界だ。

 

日本人は米を食い、欧米人は肉を食う

 

 

今ではもうそう断言もできないほど食文化は世界で混ざり合っているが

 

まだまだそのイメージは日本の子達にも受け入れられる。

 

そんな狩りの世界で生きる者たちにとって

 

大事なのはなんだ?

 

生きるために大事な情報は、

 

そこに食糧が今いること。

 

この瞬間に狙い、行動すべきだという即断即決

 

これだ。

 

つまり彼らは生きるために必要な時間軸が日本人とは違うわけだ。

 

伝えなければならないことの確信は

 

目の前の食糧がいなくなる前に

 

目の前の食糧が自分たちを襲う前に

 

とにかく早く速く伝えないといけない。

 

あれは鹿ですかねぇ

 

なんて、言ってたら聞き手は

 

 

①あれは鹿です

 

鹿?いるのか?

 

②あれは鹿ですか

 

いや鹿なのか聞かれたぞ?

 

③あれは鹿ですかねぇ

 

いや違うな、相談されたぞ!

 

こんなのんびり工程を辿らされることになるわけで

 

その間に肝心の鹿は逃げてしまうかもしれない。

 

それではダメなので

 

 

①あれは!

 

これで相手の注目を向こうの方に向けさせ

 

②です!

 

と言い切り、獲物の存在を確定させる。この時点で言われた相手は持っている武器を握る手に力が入り、臨戦体制をとれる。

 

③鹿!

 

これでその臨戦体制を実際にどのような行動に移せばいいかまで確定だ。

 

こうして最短の言葉で獲物に向かう。

 

そうしないと彼らは生きていけないからだ。

 

これが

 

That is a deer.

 

この文の成り立ちである。

 

追加として「a」があれば、臨戦体制からの行動もさらに具体的になるでしょ。

 

一頭

 

ということが事前に伝わるからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

さてすでに4000文字を超えそうだ。

 

どうだろう

 

日本人にとってのbe動詞

 

つまり「です」に相当する言葉と

 

欧米人にとってのbe動詞

 

そもそも、生きていく環境の根底が違うのだ。

 

この「根底の違い」に加え、使う文字が違いすぎるというのも

 

日本の子達が英語学習を難しいと感じる要因だ。

 

分かる?

 

これらのハードルを越えないといかない日本人の英語学習

 

それはもう、本当に大変なのだよ。

 

 

しっかりと題名回収できたか自信がないが

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

松江塾の納豆英文法はこのように徹底して日本人が英語学習を受け入れやすいよう言語化するところから始まります。

 

英語を受け入れる

 

のではなく

 

英語学習を受け入れる

 

ということが大事なのです。

 

おそらく、極めて特殊な環境下でない限り、日本の子達が英語そのものを受け入れるのは困難です。

 

日常生活のほぼ全てが日本語で、脳内の思考がほぼ日本語なのだから。

 

だから発想を変えるんです。

 

英語ではなく、英語学習を受け入れる。

 

これならば可能なんです。

 

ただのブロック遊びに

 

数の概念

立体の概念

 

これらを言語化していくようなものだと思ってください。

 

英語を言語として習得するのか

 

英語を学習対象として習得するのか

 

言語と生存環境の特性を考えると

 

自ずと道は決まります。