バケツから出たら、もうそれはどこにどう進んでいくか分からない。
それが子育て。
子供が何に興味を持ち、何に没入するか
その頭の中など分かるはずもない。
それでも子供が小さい頃はまだ見える。
水はまだ砂山の頂上あたりから見えるから。
でもそれがやがて見えなくなって行く。
あ、あのあたりで右に曲がったな。
ん?滝か?
急になたらかな斜面になったのか?
何がきっかけで
何が障害で
なんてことももう親からは分からない。
だから「三つ子の魂百まで」なんだと思う。
まだ見えるうちに
まだそこにいるうちに