誰にだってあった「まだ何者でもない」時という時間
それなのに、とんでもなく楽しく、満たされていたあの時
学校帰りのあの長い道のりを一瞬の時へと変えたあの時
気がつけば閉店が迫ってきて、見回せば自分たち以外誰もいない店内
あの時
あの会話
まだ何者でもないからこそ、何のしがらみもなく話せた将来の漠然とした夢
夢を語る
なんてご立派なものじゃなかったのは誰だって同じよ笑
ただ、自分を語り、自分を知ってもらい、相手の話を聞き、相手を知る。
そうやって見えない繋がりが太くなっていくことをなんとなく感じながら過ごす時間
心地よかったはずなんだ。
でもそれが自分が「何者」かになった時
右の肩に何か乗っかり、左の肩にも何かが乗り、右手に子供の手、背中にも幼い命が。
そうなってからは、もうあの時のあの時間は自分の世界から消える。
当時の友人と会い、話せば束の間の「あの時」の擬似体験はできる。
でもすでにお互いが「何者」かになったのは自覚していて
やはりもう「あの時」は来ないのだと余計に感じで切なくなったり。
でもね
松江塾の親単科は
そんな「あの時のあの語らい」みたいな時間を取り戻したいんだ。
「親」なんていう肩書きを背負ってるから
そしてその「親」を「親単科」なんて名前で括ったから
きっとまだ肩書きを意識するのかもしれないね。
でも3回やってみて、何か見えたものがあるんだ。
僕らはあの時間、何を欲しているのか。
きっと僕らは、一旦離れたいんだ。
そして
没入し、あの時を「体験」したいんだ。
擬似じゃなくて。
「あの時」に没入したいんだ。
きっとそうだ。