人は「人間」として生まれても、動物に育てられると「人」にはならない。
人が「人」になるには、「人」によって育てられなければならない。
「人」の「溢れる言葉」によって育てられなければならない。
ぶっちゃけ、ある程度の素養のある親がある程度の強制力と方針を持っていれば
学校とスタサプだけでOKだ。
これは本当にそう。
しかし
それだとその子は親を超えるようには育たないんじゃないかと思うんだ。
もちろん学校には先生がいて、周りには友達もいる。
そういう「人」達の「言葉」も大いに期待できる。
しかし我が子の周りを見て、どうもパッとしないなと感じたらどうするか。
その「人」の話をする時、明らかに我が子の顔が違う、なんて「人」がいなかったらどうか。
僕の周りには、それはそれは魅力的な個人塾がたくさんある。
そういう塾を知っている。
その塾は何が魅力的かって、その塾長の紡ぎ出す「言葉」が魅力的なんだよ。
いわゆる売れてる個人塾とそうじゃない個人塾の違い
それはモロにその塾長の出してくる「言葉」の違いのように感じるんだ。
それはまさにその塾長が「人」としてこれまで生きてくる中で身につけた言葉、感じた感情を言葉にしてきた経験、魅力的な言葉を発する人達と出会ってきた経験
そういうものが蓄積されてるんだ。
もちろん、「良い塾」の判断基準はたくさんあるさ。
システマティックに大量の問題をやらせ、管理し、尻を叩く
そうやって「数字」そのものを上げることに注力して結果を出してる塾もある。
でも、そういうところでさえ「言葉」によって結果に差は出るし、塾の空気も違うんだろう。
個人塾
は、塾長の言葉でできていて、塾長の言葉で動いている。
大手塾との最大の違いは、我が子にそういう言葉をかける人間が変わることなくそこにい続けてくれるかどうか、だ。
常に同じ熱量で、いや、経験は蓄積されていくから年を追うごとに熱くなっていく熱量
その熱を我が子に!
という願いを持つ親が多いから、魅力的な個人塾はますます魅力的になっていくし
そうでないところはどんどんなくなっていくんだと思うんだ。
どうか、我が子に良質な教育を施し、魅力的な「人」になってもらいたいのなら、
そういう「言葉」をバンバンふりかけてくれる個人塾を
いや
個人塾の塾長を見つけて欲しいんだ。
探せばあるよ
絶対に。