勉強ができるってのは
人類が見つけ出した事実や法則
そういうものを知ってね
理解してね
解けるようにしてね
って言われたものをただできるようにしただけ
ほんとーにそれだけ。
その子の「賢さ」が教科書や問題に向けられて
測定されたものが点数だったり偏差値だったりするだけ
ほんとーにそれだけ。
だから、生きてく上で必要って感じがそこまで大きく感じられないんだ。
勉強だけできても…
って言われる理由もそこにあると思うんだよ。
んじゃ、それ以外の要素って何?
ってことになるよね。
僕のイメージとしては
この二つって感じだろーか。
黒い丸がその子の「賢さ」ってもの。
そこから勉強だったりの何かのスキルが育ってるような感じ。
すると、見て分かる通り真ん中の賢さが大きいほど、そこから生えるものも大きく高くなれる感じ。
だからその「賢さ」の部分を大きく大きくするんだ。
その賢さの正体とは?
これだ
なぜ中学時代の友達より高校時代の友達のほうが一生の付き合いになることが多いのか。
賢さとは言葉の数だ。
これはもう、
これだけはもう
間違いないと思うんだ。
言葉をたくさん知ってる子は賢い
言葉を知らない子は賢さとは遠い感じ
子供の言葉は親の言葉
さあ
今日は日曜日だ。
子供の言葉
いくつ増やせるか
メモ用紙とペンをポケットに忍ばせてお出かけだね。
それにも通じるよね。