子供に対する何かしらの指示は
子供にとって「外枠」を提示することである。
例えば「ここで遊びなさい」と、キッズスペースに連れて行くと、
子供はそのスペースの中でだけ遊び、外の世界を見なくなる。
仮に外に行きたいなと思っても、そこから出ることはできない。
「ここで遊びなさい」
と言われたからだ。
親の一方的な意志と言葉
親にとっては正解だろうが、そこに至るまでに子供の思考や意志はない。
それに対して
「どこで遊ぶ?」
という言葉はどうか。
親の中では最終的に上記キッズスペースと決めているのだとしても
子供に発問してみることで、そこには会話が生まれ、当然ながら思考が生まれるのではないか。
そこからのやり取りの中で子供の意見を知り、その意見を持った理由も知り、
そこに親の提案や理由を乗せ、伝える。
そして親はしっかりとキッズスペースに子供が納得した上で誘導して行く。
もしくは、時には子供の提案の方が双方にとって優れている時もあるだろう。
その時はその提案を賞賛し、受け入れるのも良いだろう。
おそらく賢かったり反抗期がひどくない子って
親とのそういうやり取りを幼少期から積み重ねてきたのではないか。
いろんな子達と接してきて、ただ勉強量が多いだけがその子達の賢さの源泉だとも言い切れない部分があるのだ。
だからちょっと考えて、そして書いてみた。
そんな今、僕は一人でウォーキング中。
近づいてくる夏期講習
この朝の時間を使わないと、一日10,000歩は達成できないのでは?と考え
いろいろシミュレーション中なのである。
っていうか、午前9時台でも既に劇暑…