中学受験は精神的に早熟でないと厳しい、と言われることがある。
これが本当なのかは分からないが、勉強の賢さや努力というものは精神的な成熟度に大きく依存しているとは思う。
結局のところ、「何で勉強しなきゃいけないの?」という問いに対し、自分なりの答えを持ち、それに納得できた子達が次の「行動」というステップに移るのだから。
ということは、家でやるべきなのはドリルをやらせることなのか。
それだけなのだろうか。
違うと思う。
もっと溢れる会話を。
親は自分の中から繰り出す言葉を常にチェック。
子供の脳みそに「思考の核」「好奇心の取っ掛かり」となる言葉をどれだけ注入できるか。
言葉を知らなければ思考ができぬ。
思考ができなければ精神的成熟は夢のまた夢。
話題なんて、そこら中に転がってるさ。
なんでもいい。
「ねえ、どうして『月が綺麗ですね』が愛の告白なんだろうね」
とか
「なんでこの店は店内に音楽がかかってるんだろうね」
とか
「どうして男の人ってスカート履かないんだろうね」
とか
家族の中に「思考の火種」を落とすのは誰?
子供がふと口にする小さな疑問も大切な「思考の火種」になるよね。
それを
「は?知らないよ」
と返す最悪な親はいないよね?
体の成長は目に見えるけど、脳みその成長は目に見えない。
勉強のテストの⭕️や❌は確かに脳みその成長を視覚化したものだけど
でもそんなものは氷山の一角のごくごく一部。
その土台にある「精神的成熟」まで意識を向けて。
とても大切なこと。