昨日の中1と中2は同じ話をした。
「言葉」
についてだ。
言葉を知らない子は、自分が言葉を知らないとは思っていない。
僕がアラビア語を知らないということ自覚なく生きているのと同じように
知らないものは存在しない前提で日々生きてるから。
ただ、世の中には「他者」がいて
何かというと「言葉」が交わされる。
そこで浮き彫りになるのが
「持ってる言葉の数」
である。
その言葉のやり取りを重ねていくうちに
人は
自分と似通った言葉の数や種類を持ち合わせている者と近づいていく。
それが心地よいし、楽だからだ。
何を言っても理解してくれない相手
何言ってるか意味不明な言葉を発する相手
そういう相手とは時間と空間を共有できない
それが
人
という生き物である。
最初こそ見た目やノリで楽しい時間もあるだろうが
ふとした時の会話で
は?つまらない
え?知らないの?
というズレを感じたら、人は相手から興味を失っていく
ただ、そこにはいろんな「欲」も付随してくるから
なんだかんだで一緒にいる人達もいるのだろうが
それはいずれ破綻する。
離婚率が上がっているのも、多分そういうことも理由なんじゃないのかな。
言葉はお金と同じ。
ないよりあった方がいい
少ないより多いほうがいい
学歴も大事だが、それよりも多くの言葉を。
「あの人、学歴はそうでもないのに妙に仕事できる」
なんて人は、きっとこの「言葉」のレベルが高いんだろう。
多く知ってるだけじゃない
難解な言葉も知ってるってだけでもない
ただ、適切な時に適切な言葉をしっかりと操れるんだろう。
それを人は「コミュニケーション力」と呼ぶ。
我が子をそんな子にするのは
僕も含めた周りの大人たちである。
もちろん、親であるあなたが最大の主役ってこと。
忘れないで。