そもそも「教育ママ」という言葉自体がネガティヴな要素を含むよね
イメージは今も昔もこれじゃん?
「教育ママ フリー素材 画像」
で検索したものを上から保存してみたら…
なんか一個だけ可愛いのがあるが、
それでも世の中の「教育ママ」のイメージはこんな感じなのだろう。
我が天使はガキゴキの教育ママなんだけどねぇ…
笑
さて
話を戻そう。
教育ママ
ママ友達と繋がっていく中で、自分が「子供の教育に熱心だ」ということは、何となく隠さなければならない空気があると思うんだ。
なんとなく、ね。
「全然やってないよー」
「やらせてないよー」
「やらなくて困ってるんだよねー」
「本人がやりたいって言うからねー」
「え?そーなの?知らなかったー」
「あの子は神よ。うちの子とは世界が違うよねー」
「ふつーでいいのよ、ふつーでー」
「まだ何も考えてないかなー」
とか、そういう言葉が社交辞令的に飛び交うよね?
なんでだと思う?
まずね
これはかなりあると思うんだけど
ママ友達の集団の中で、声が大きい、つまり場の発言力が強い人は勉強をあまり頑張ってこなかった当時の一軍女子である可能性がとても高い。
これね。
僕が見てきた中で、教育ママの大半は学生当時からわりと勉強を頑張ってきた人が多いように思うんだ。
別に地味、とか
そういうわけじゃなくて、やるべき時にやるべきことを自分の努力で頑張ってきた人達。
でも、ママ友達の中で支配力というか、権力の強い人は
「自分の努力というよりは、声の大きさと徒党パワーによっていろんな状況を乗り越えてきた人」
という感じじゃない?
極めて個人的な考えだけどね。
そういう人達は、コツコツ努力して能力値を高めていく人たちのことをあまり良くは思ってない。
明らかにそこの部分では自分が劣っていることを自覚してるからね。
だから、声を高らかにそういう努力を嘲笑い、否定し、イジる。
その感覚がママ友達の中でも当たり前に存在するんじゃなかろーか。
ママ友達のコミュニティってね、いくら嫌でも面倒でも、そこにいなければならないもんなんだ。
そうじゃないと、我が子がハブられるから。
さらにそこで話される情報は幼稚園や小学校でつつがなく過ごしていくためには必要不可欠なんだよね。
だから、否定される可能性が高い自分の「教育熱」や「努力」は隠す、隠す、隠す…
これ、当たってるなら、Twitterやってる人はリツイートしてね。
Twitterやってない人は、自分と教育観が同じ知り合いママに記事を転送!
僕も非教育ママから嫌われることを覚悟してこれを書いてるんだから。頼みますよ?
そして、次
そういう集団にいるのが嫌できつくてどうにも無理!
っていう人は「お受験」「中学受験」という、自分と似た努力をすることが当たり前で、なんなら必要で賞賛される世界へと移っていくことになる。
でもね
ここでも教育ママ達は「沈黙」をするんだ。
これはかなり分かりやすいよね。
だって、そこは紛うことなき「戦場」だから。
勝ち負け
優劣
逆転
挫折
そんな剥き出しの感情がぶつかり合う場だからさ。
だから我が子の生活、能力、傾向、成績
そういったものはひた隠しにし、
漏れ伝わってくる他の子の情報にアンテナだけはビンビンに立てながらも
それに対する感情や言葉は鉄壁防御の「心の箱」にしまう。
こうして、
教育ママ達はその全てを隠すことになる。
そして
松江塾に入ってきて、僕に全部ぶちまける♫
僕は教育ママが大好物だから。
だって、ほら
ギコギコの教育ママがいつも隣にいるわけで♫
だからね
教育ママの皆さん♫
そのモヤつきを吐き出せる場所はあるんですよーってことね。
さあ、松江塾で一緒に頑張っていきましょうかね。
公式ホームページから、お問い合わせください。
1月21日午後2時からの説明会参加もぜひ!