親になった瞬間に分かること
逆に、親にならないと分からないこと
それが
子育てに関することに、親の都合は一切関係ない
ってことね。
いま眠い、とか
いま忙しい、とか
いま一人の時間が欲しい、とか
そういう親の気持ちは全く関係なく子育てロードはそこにある。
親になったことがない人からすれば
それは
理不尽極まりない出来事
の連続である。
それまでに積み上げてきた経験や常識など通用しない、
全くこちら側を考慮してくれないワガママモンスターと24時間365日一緒にいること
これが子育ての本質である。
その思い通りにならないワガママモンスターを、いかにして自分達の思うように「矯正」していくか
言い方は悪いかもしれないが、それが子育ての本質ではないか。
そうだな…
山の頂上から大量の水をゴウゴウと流すとして、
それを海まで流れるように川を作るようなイメージだろうか。
途中には集落や道路があり、最短ルートだけが最適とはいえない土地。
親になるまではどこのどんな地域に水が流されるか知らされない。
突然、「はい!ここから水を常時大量に流しまーす!」なんて言われて、山の頂上に連れて行かれて。
もうそこには大量の水がジャンジャカ流れていて。
365日24時間
何も分からない若い夫婦は、手にしたスコップやシャベルだけを使って細い川のようなものを必死で作っていくんだ。
目的とする海までは、どうやって進んだらいいか
っていうか、どっちに海があるかなんて分からない。
何も分からない。
ただ、水だけはジャンジャカ流れていく。
水路?
川?
よく分からないまま地面を掘り、なんとなく水を誘う。
ちょっと平らな土地まで来たら、少し水溜りのようになり、それがすぐに池になる。
どっちに流していこうか
ほんの少しだけ相談するが、その瞬間も水はどんどん増えていく。
「海はあっちじゃない?」
なんの根拠があるわけもないが、とりあえず「そうだろう」という朧げな合意のもとに、水路を作っていく。
進めば進むほど流れてくる水の量は必然的に増えてきて
川幅も太くして行かないといけない。
もう、急に曲げることもできない。
曲げようとすれば、そこに巨大な土手を作らないといけない。
その時間は?
んー、ない!
だからなんとなく緩やかに曲げる。
それだけでもひと苦労だ。
そんな手探りの試行錯誤の結果、水は海へ流れていく。
もしかしたら、あんな苦労はしなくても、山上から流れる水はそのうち海に流れ出たのかもしれない。
でも、途中にあった集落や道路は?
あれを破壊しながら流れちゃってたのかもしれない。
しかし
それは今となっては分からない。
一度川を作り、そこに水が流れたら、あとはその先を見るしかない。
もう、流れちゃってるんだから。
それが子育て。
この大変さは、親になってみないと絶対に分からないのである。
塾にはね
そういう川が生徒の数だけ存在しているんだ。
その川を力技で一本の大運河に集約していく。
塾によって目指す海は違うからね
合流してきた川達を、大きな力でゴリっと曲がる。
上流であればあるほど曲げやすく、下流であればあるほど曲げにくい。
なかなか全員を目的地まで連れていくことはできないが、
それでも毎年その運河は強くなっていく
のである。