例えばマラソン
東京マラソンやホノルルマラソンのように、一般参加も含めて何万人も同時に走るようなものを想像してほしい。
先頭に位置してスタートの号砲を待つ集団
その後ろに並ぶ人たちも同じ気落ちで待つ。
しかしそれが少しずつ後ろにいくと?
もはや先頭が見えない。
かろうじてピストルの音は聞こえる程度か。
そしてさらに後ろにいくと、
もはや音も聞こえない。
先頭の集団がもうとっくに500メートルくらい走った頃に、
真ん中よりも後ろにいる人たちは周りの人たちがノロノロと走り始めるのを感じて自分も走り出す。
さらに後方はどうだ
まだ?
まだスタートしてないの?
なんて思いながら待つ。
そして先頭集団が軽く汗ばんできた頃に、ようやくノロノロと歩き出す。
こんな感じだろうか。
さて
勉強はどうだ。
まず真ん中よりも後ろは、自分がマラソンレースに参加しているという自覚がない。
ただ周りがノロノロと走るから
「え?これ走るの?」
なんて言いながら走り出す。
何のために走ってるのかも知らず。
さらに後方なんてももちろんそうだ。
ゴロンと横になってるところに、周りがノロノロと動き始める。
「え?何やってんの、みんな」
とか思いながら目はスマホに戻る。
でも大丈夫。
周りには自分と同じようにスマホを眺めて横になったり座ったりしている者が大勢いるから。
勉強ができなくなっていく子達って
まさにこんな感じなんだ。
走れないわけじゃない。
体力だって持久力だってある程度はあるだろう。
しかし
今自分が「マラソンレース」に参加しているという自覚がない。
その状況を知らないんだ。
だから走らないし
走ったとしても、疲れたらすぐ歩くし、止まる。
だって、それがレースだなんて知らないわけで。
勉強の細かい単元にしても、定理にしてもそう。
それが「理解すべき大事なこと」という認識を持たない。
その前段階を聞いてないからね。
だから当然知らないし、使えない。
これが「勉強できなくなる子」の正体なんだ。