家庭の会話力だっていうことは、今までもたくさん書いてきた。
それは当然、そうだ。
でももっと根本的なことを書いてみたい。
国語って、言葉だ。言語だ。
言語は「その必要があって作られた」ものである。
物
感情
人
事件
そういうもので「これは言葉にしないと不便だ」という理由があってその言葉ができたんだ。
つまり
僕らは言葉を見たら、その「根源」の物や事象をなるべく正確に知っておかないといけない。
秋刀魚
さんま
サンマ
日本語には表記がたくさんあるから大変だ。
この時点で、「なぜ表記が変わるのか・その理由は何か」ということにも思いが及ばないといけない。
受ける印象がどう違うのか、ということも。
そしてそこをスタートにして
秋
網焼き
刺身
青魚
なんていう、周辺知識も肉付けしていって、どんどんその言葉が彩り豊かになっていくんだ。
目の前の人が秋刀魚を指さして、「青魚っていいよね」と言った時
その「青魚」を知らないと、そこでその相手とのコミュニケーションはちょっとした段差にぶつかる。
さらにその人が「好きな青魚、ありますか?」なんて聞いてきたらどうだ。
もうその段差は落ちたら怪我するような高さになるだろう。
言葉が持つ意味、周辺知識、それが自分の経験や感情と結びついているかどうか。
さて
ここまで書いてくると、僕の「美味しくいただく国語」の重要性が見えてくるだろう。
今日は木曜日だ。
中3は2学期から「木曜日は国語の日」になっている。
解き方のテクニックなんて、糞食らえの授業だ。