答えを先に言おう。
それは
「言葉は単独で脳内に存在できないから」
である。
どういうことか。
例えば
「秋刀魚」という言葉があるとしよう
まず「さんま」と読む
秋
に捕れる
刀
みたいな形をした
魚
である。
もちろん、目の前には秋刀魚実物があるか、映像があるだろう。
秋
とは何か
季節である。
春夏秋冬
の秋
である。
夏が終わり、涼しくなり、冬の足音を待つ季節だ。
読書の秋
食欲の秋
スポーツの秋
秋刀魚の「旬」
青魚
骨
はらわた
どうだろう
秋刀魚
という魚の名前は、単独でそこに存在できないんだ。
まずあの魚が目の前にないといけない
そしてそこに様々な言葉たちを連れてくる。
そうやって、賢い子はどんどん一つの言葉についてくる他の言葉を迎え入れ、語彙力ネット、つまり思考と想像の世界を広げていける。
もし今、目の前に「秋刀魚」が姿を現さなければ
秋刀魚があったとしても、それを言語化して教えてくれる大人がいなかったら
その子には「秋刀魚」が連れてきてくれる様々な言葉を知ることなくその時間を過ごす
この差こそ
賢い子がどんどん賢くなり、
馬鹿な子はどんどん馬鹿になっていく理屈である。
下の子達が下がっていくわけじゃないよ
上の子達がどんどん上にいくから
差が広がっていくって話ね。
さあ
その「周りの大人」とは誰だ?
あなたである。
頑張ろう。