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【危険】「将来何になりたい?」に対する子供の答えを頑張らせる根拠にしないように

 

子供は親の顔色を見て育つ。

 

親が喜ぶ顔を見て、子供は喜ぶものだ。

 

さらに言えば、ものすごい速度で成長しているのが子供だ。

 

周りの世界はどんどん広がり、解像度も高くなっていく。

 

今目の前のことに興味があっても

 

それは明日も同じとは限らない。

 

いや

 

違うことの方が当たり前なんだ。

 

だから高校生になっても砂場で穴ほって遊ぶ子がいないんだ。

 

そんな我が子が

 

「将来、○○になりたい」

 

と言ったとする。

 

もしくは親の問いかけに答えたとしよう。

 

それを聞いた時、親は少なからず何かしらの反応をする。

 

例えば

 

「医者になりたんだ」

 

なんて我が子が言えば、すぐに「私立大は無理だけど、国立大なら可能だ」と脳内コンピューターが作動する。

 

そして「それならたくさん勉強しないとな!」と、満面の笑みと共に答えるだろう。

 

この会話は家族の中でも微笑ましい、誰にとっても満足度の高いものとなるはずだ。

 

まあ、ここまでは良いとしよう。

 

今の時点での我が子の目標なのだから。

 

だがね

 

問題はこの先だ。

 

「医者になりたい」と言った我が子は、昨日の我が子だ。

 

翌日、どうしても興味を惹かれたYoutubeに見入ってしまうことなどは日常的にあるだろう。

 

ついつい時間が長くなる・・・

 

それを見て

 

「ねえ、勉強しないの?そんなんじゃ医者になんて到底なれないわよ?」

 

と言ってしまう。

 

子供が一度その口から発した将来の夢が

 

365日24時間、子供を支配しているなんてあり得ないのに。

 

どうしても親は「そんな理想の将来」を掲げた我が子を固定化してしまう。

 

そしてその目標からの逆算で今の我が子を見てしまうんだ。

 

 

まあ、気持ちは分かるさ。

 

 

でもね

 

最初に書いた通り、子供の夢なんて

 

所詮は子供の夢である。

 

 

そこを目掛けて本当にまっしぐらに突き進める子なんて

 

一人握りの

 

さらにその中の砂つぶくらいのものだろう。

 

 

親は、その時その時夢を持てる我が子を見てやればいい。

 

そして

 

そんな遠い目標なんて、まあほぼ実現はしないってことを肝に銘じてほしい。

 

そして

 

「なんでもいいが、今日を全力で頑張って楽しんでみんなで喋ろう」

 

くらいの声かけでいいんだと思うよ。