子育てに限らず、自分の人生とか、仕事とか
そういう話の中で出てくる「ひと花咲かせる」という言葉。
誰しも聞いたことがあるだろう。
我が子にひと花咲かせたい
それと同時に、我が子育てにおいてひと花咲かせたい
親であれば誰だって夢見るだろう。
成功した我が子
成功させた私
こんなことを書くと横から「そもそも成功って何ですか?」と絡まれそうだが笑
そんなものは人それぞれだから、「え?分かるよね?」と事前にペシっと叩いておこう笑
さて
その「ひと花咲かせる」ということについてどれだけ考えたことがあるだろうか。
花は茎がないと咲かない
もちろん、葉がないと咲かない
でもまず何よりも、根がないと咲かない。
そうだよね?
まず根がないと、植物として存在できない。
この「根」を、自分の子育てに関して言語化できているだろうか。
多くの場合、目の前の「我が子」というつぼみに水をやるイメージなのではないか?
ジョウロで水をちょろちょろと。
そりゃそれは💦だから、土に染み込み根にまで届きはするだろう。
しかし、それはあくまでも「水分」である。
土の中の「養分」は、水とは関係なく張り巡らせた根が土の中から吸い上げるのだ。
その「根」をしっかりと広げているだろうか。
こうやって書くと、我が子という花を想像し、我が子の「根」をイメージするだろう。
しかし
これは少し違う。
「子育て」という植物は、実は親子で一つの植物だと思って欲しいんだ。
我が子という種を持った、親という種。
同化してるか、内包してるか
それはどっちでもいい。
まず親であるあなたが覚悟を決めてその形土に体ごとぶつけて埋まる。
我が子が傷つかぬように。
そして暗いそのうちの中で、自分の殻を破って細い根を出す。
その細い根の先で感じる「水分」「養分」
よし、ここなら大丈夫だと感じる。
正直、この場所選びには「運」の要素もあるだろう。
あ、これ
分かっているとは思うけど、具体的には「旦那選び」ね笑
そして確信ができたらグングンと根を伸ばす。
太く
広く
長く
そして今度は芽だ。
この時、子育てという植物は不思議な成長をする。
親である種が根を伸ばし芽を出す頃、
子供という種は親が生やした根と芽に同化するんだ。
親の生やした根の中に子供の根も入る。
芽にもそう。
そして、茎となって一緒に伸びる。
そうやって一緒に伸びる。
上にも
下にも
そして春が来て
その茎の先につぼみができて
そしてそのつぼみが綺麗な花となって開くんだ。
その時、あなたの意識はどこにあるべきか。
横に座って花を見て、あら綺麗!と言って水をあげたりしちゃいけない。
あなたはさっさと土の中で根を伸ばすんだ。
深く
広く
長く
そうやって、綺麗に咲き誇る我が子という花に
決して見えないところで必死になって養分を求めて根を張るんだよ。
せっかく頑張ったのに、花を見れないなんて
と思う?
いやいや違う。
この子育てという植物はさっき言ったように
同化
してるのさ。
だから、我が子という花の開花は
あなた自身も自覚できてるはず。
咲いた我が子を見るのではなく、咲いた自分を自覚できる。
その開花を自覚できるからこそ、暗い土の中でも何なら笑顔で根を伸ばせるんだ。
分かる?
この感覚。
きっとあなたの子育ての感覚を恐ろしく正確に言語化できてるはずなんだ。
子育ては自分育て
とか、そういう子育てを言語化したものって
この感覚を持っていれば全て腑に落ちる。
よね?
さあ
あなたが今日すべきことは何か。
まず何よりも「根を張る」ことだ。
深く
広く
長く
我が子をしっかりと支えるものは何だ?
根
である。
そしてこの根は
成長を止めたらダメだ。
一度伸ばし、養分を吸ったその土のあたりは
どんどん養分はなくなっていくから。
だから休むことなく伸ばすんだ。
その根を。
その根を。
その根を。
見えてきたよね?子育てというものの正体。
どうかな?