閲覧注意
子育ては誰がするのか。
親である。
よく、地域が、社会が、なんていう話も出るが
まずは親である。
親のその両手である。
親のその両目である。
我が子を見て、そして手をかける。
丁寧に
丁寧に
そうやって我が子というのはいろんな素養を身につけながら成長していくのだ。
子は、生まれ出る時に親を選べない。
決してそんなことにはなっていないはずだが
言ってみれば生まれる前の我が子たちは一列に並び、
そして順番に
「はい、君はあの2人の子供として行ってらっしゃい」
「はい、君はあの2人」
「次の子、どうぞー」
みたいに、国も何もかもがランダムに決められて
ヒュー
っと産道を通って生まれ出る。
そんな感じで僕らの手元にやって来てくれるんだ。
それが我が子。
大切な我が子だ。
親がなくても子は育つ
そんな言葉もあるくらい、なんだかんだで子供は成長していく。
適当な子育て
放置
放任
ネグレクトまでは行かなくても、子供はなんだかんだで育っていく。
そういうもんである。
そんな時、子育てに手を抜くっていうのはどういうことか。
肝に銘じて欲しい
あなたがあなたの子の成長に意識と目と行動を全振りしないということは
ある日突然、あなたの子の腕が消滅するようなものだ。
ある日突然歩けなくなったり
ある日突然嗅覚がなくなったり
ある日突然…
死ぬことはない。
しかし
しっかりと子育てを意識的にすれば得られたであろうことが得られないってことは
積み重ねてあげるべきものがないわけで
それは
➕0
なんじゃなくて、他の子達と比べたらマイナスなんだよ。
今やるべきことをやれる子達に対して
今やるべきことをやらない我が子
プラスがないんじゃなくて、マイナスなんだよ。
誰のせいだ?
子か?
違う。
子供に罪はない。
親が悪いのである。
その親の元に生まれてしまった不運
これしかない。
ああ、
親ガチャってそういうことか。
なるほどね。
僕ら親は
責任重大なんだ。
せっかく5体満足で生まれて来た我が子を
親の不甲斐なさで手足をもいでいくような
そんな子育てをしてはいけない。
親が変わらなければならない。
親が学ばなければならない。
そのために親単科を開講するんだ。
全ては
親次第なのだから。