親なら分かるはず
あなたが子育てをしていて、我が子から目が離せなくなる時
それは
我が子にスポットライトが当たっている時。
いや、そう書くと本当に一握りの凄い子だけを想像するかもしれない。
だがね
我が子子育てにおいては、実はそれはあまり関係がないんだ。
我が子が家庭の外で、他者との関わりの中で何かの「役割」を担う位置にいる姿
親はこれを見たいんだよ。
なんだろう
本能かな
いずれ自分は死ぬが、その後で我が遺伝子が我が子の中で生き続けることを確信したいのかも。
種の保存の本能ってやつで。
我が子が他者の中で何かの役割を得て、そこにいて、その役割に意識を向ける時
我が子の意識の中に親である自分はいない
それが見て分かる。
その姿から、きっと親は本能的に我が子の未来を想像するのではないか。
自分がいなくてもあの子は大丈夫
と。
だから目が離せなくなるし、また見たくなる。
題名にも書いたとおりだ。
習い事に時間と体力を使うことは、勉強との等価交換
いや、実は勉強と比較するともっと交換効率は悪いかもしれない。
でも、辞めない。
辞めさせたくない。
それは我が子の役割を一つ減らすことになるのだがら。
どうだろう。
この感覚
この考え方
きっと当たらずとも遠からずだと思うのだが。