ほほう
「主体的・対話的で深い学び」であるアクティブラーニングなるもので
生きる力を育む、と
ほーう
頭、腐ってますか?
いや、どう考えてもおかしな話だろ
生きる力って何よ
大体、多くの人間が「生きる力」って言葉を聞いて何を思い浮かべる?
多分、大草原とかジャングル
何も持ってない。
どうする?
って時でも、自分の命を自分で守る力
そういうものを想像するよね?
つまり「自分の身一つでも幾多の壁を乗り越えていける力」ってものなんじゃないの?
生きる力の本質って。
その時に、何かアイテムあった方がいいよね。
そのアイテムを探し、選ぶ力があった方がいいよね?
知識だって必要だよね?
一人じゃ乗り越えられないなら、みんなで協力したほうがいいね
その時に、コミュニケーション能力とか、共感力とかも大事だよね?
っていう感じで、今の「生きる力」って定義されてるんだよね?
ふぅ
となると、アクティブラーニングはあくまでも「手段」であって
その大前提となる「この身一つで突破しないといけない」という目的を自分の中に持ってないと
まるで意味のないものになるよね?
さて
じゃあ、その大前提を我が子に持たせるにはどうすればいいか
そもそも
人はどういう状況でその感覚を手にできるのか
それは
何も持たない
一人だけ
でも、困難は前にある
という状況だよね。
何もジャングルで、とか
そういう特殊な状況のことを言ってるわけじゃないよ。
「ママ、これどうしたらいいの?」
と子供が聞いてきた時に
「ん?どうしたらいいと思う?」
と答えるだけ。
これだけでいいんだ。
「わかんない」
と答えたら
「あなたの目の前にあって、あなたが疑問を持ったのなら、答えは誰が出すの?あなた?それともママ?」
と答えてあげる。
それだけでいい。
つまり、それは松江塾の根幹にある「知らんがな」なのである。
ちょうどこのタイミングで、川越BASEの対面教室に生徒が戻ってきた。
元々BASEの対面にいた子だが、「家の近所の塾に行く」という理由で辞めた子だ。
しかしここに来て「自分で勉強したほうが効率的」ということが分かったようなのだ。
そうね
その通りだね。
結局、そこに辿り着けた子だけが、人生の次の高みに行けるんだ。
自分のことは自分で
自分の判断が一番正解
だからその道を自分で進む
それこそ、「生きる力」の本質である。