子育ては「親子のコミュニケーション」を前提に行われるべきだ。
一方的な命令ではなく、ね。
どんなに理想的な言葉を編み出したり、調べたり真似したりして子供に向けたとしても
子供の目と意識と脳みそがこちらに向いていなければ
何も伝わらない。
100%実ることのない片思いなのである。
だから、まず子供の目と意識と脳みそをしっかりと親に向けさせなければならない。
そのために「ねえ、まず落ち着きなよ」という言葉。
子供が自分自身の殻の中で大暴れしている時に
しっかりとその言葉に力を持たせられている親であるかどうか。
まず落ち着くこと
原始の時代に思いをめぐらせてみようか。
本能で生きることが大事だった頃である。
身近な動物をイメージしてもいいだろう。
子供は無邪気だ。
危険の予測など、浅い経験しかないからできるわけもなく。
ただ好奇心にしたがって動きまくる。
走りまくる。
近くに天敵のような存在がいてもお構いなしだ。
その時に、いち早く気づいた親が我が子を咥え、天敵から離れる。
それを嫌がり暴れ、親から離れたらどうなるか。
死ぬのである。
もちろん現代の人間には天敵に殺される危険はない。
が、たとえば交通量の激しい道路の歩道を歩いている時。
バタバタと走り回っている我が子を止めるのは親の言葉だ。
その感覚
それを日々の子育ての中に落とし込めるかどうか。
まあ、まず落ち着きなよ。
自分のこの言葉、しっかりと家庭内で力を持って生きているだろうか。
それが家庭内で意味のない言葉になっているとしたら
この先、いろいろと大変だと思うよ。