中受界隈ではよく耳にする「酷語」という言葉。
何をどうやっても国語が伸びないことを揶揄した表現だろう。
親が「あなたの国語は酷語よね!」と言ったところで、この子達は
酷だ
という日本語が脳みその思考システムに届くことがない。
日本語で書かれたその文章
理解できないのであれば、何を問われても答えられるわけもない。
「国語は伸ばすのが難しい」
とはこの業界の当たり前なのだが、
それもこう考えてみれば当たり前なのだ。
ちょっと視覚的に説明しよう。
文章や
問いが

このような形で自分の脳みそに向かって飛んでくる。
自分の頭の中に、このパズルのピースのようなものが

ピタリとハマることで「理解」となる。
しかし

入り組んだところにまでハマらなければ理解には繋がらない。
これが語彙力不足によって「何書いてあるか分からない」という状態である。
語彙を増やせ
酷語を国語にするには、もうこれしかないのだ。