可能性は確かにある。
その可能性が教育と親和性が高いと思うのもわかる。
しかし
大体そう考えているのは子育て経験がないか、少ない男の人たちではないかと思うのだ。
例えば何かの課題やテスト
提出の向こう側に「AI」だけがいるのと、「生身の人間」がいるのとでは
どちらがそれをやる優先順位が高くなるか分かるだろうか。
親、特に母親は我が子には絶対に賢くなってほしいと願う。
と同時に指導者と呼ばれる人に我が子がなんやかんやと言われたり注意されたりすることを極端に嫌う。
当然だよね?
じゃあそれを踏まえて提出先が「AI」ならどうか。
なんやかんやと言われることはない。
仮に点数がついたとしても、そこには我が子に向けられる何かしらの感情がない。
となると、どうしても優先順位は・・・
低くなる。
優先順位が低くなったものに関して、我が子は伸びるか、伸びないか。
伸びない
のである。
だからね
AIが完全にダメだって言ってるわけじゃないんだ。
その横に、「生身の人間」がいるか否か。
それが大事ってことなのよ。
それもなく、ただ「AIすげえ!」だけじゃ、
向こう何十年も教育の世界にAIは定着できないと思うんだ。