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川越にある松江塾!代表真島による何でもブログ!

【教養とは何か】教育を通して教養を身につけることは可能か不可能か

 

教養とは何か

 

旧来の考え方では、教育を通して身につけた知識をより専門性の高い分野でも活かせるように結びつけたものを教養と定義していたそうだ。

 

しかし今、「教養」と調べていくと

 

どうやら

 

「生きる力」

 

という、やたらとフワッとした言葉に出会う。

 

 

 

「ママ、きょうようって何?」

 

「生きる力のことよ」

 

 

 

 

いや、わからんて笑

 

 

生きる力って、極限まで突き詰めれば、

 

食べ物を口の中で咀嚼し、飲み込む力だろう笑

 

 

それが自力でできれば生きられるわけで笑

 

 

まあ、ボケるのは短めにしておこうか笑

 

 

この世の中を「生きる」

 

つまり

 

人として稼ぎ、暮らし、社会性を持った立ち位置で年月を過ごしていく

 

 

それが生きるってことだ。

 

その時に

 

より高負荷に耐えられ、望めばより高みにいけるだけの力

 

 

それが

 

生きる力

 

 

それが教養の正体ってことだろう。

 

 

え?ああ、それ知ってるよ。こういうことでしょ。うん。できるよ。じゃあさ、それ使ってこんなことできたら、楽しくてみんな幸せになってお金もたくさんもらえるよね。どう?一緒にやる?君はこの部分の力が秀でてるから、それをやってもらえる?僕はここをやるから。分からないことは、分かる人を探して教えてもらいながらやったらどうかな。なんか楽しくなりそうだね。こんな面白い話を僕にしてくれてありがとうね。頑張ろうね。

 

こんなことを言われ、言えるような人

 

それが「教養のある人」ってことかな。

 

 

 

僕ら「教育」を生業としている者が

 

生徒達に「教養」を与えられるのか

 

 

どうなのか。

 

 

ここまで読んで分かると思うが

 

 

「教養の身につけ方」というマニュアルは

 

どうやら存在しない

 

いや

 

個々人で全く身につける方法もルートも違うような気がするね。

 

あなたが教養を身につけているとして、その方法を言語化することはとても難しいはずなんだ。

 

僕だってそうだ。

 

仮に僕に教養があったとしても、まずその自分自身の持っている「教養」を認知できない。

 

認知できないものを言語化することはとても難しい。

 

と思う。

 

 

生きる力

 

という話になったときわりと早い段階で出てくる「コミュニケーション能力」だって、

 

自分のコミュニケーション能力の特徴を言語化することはとても難しい。

 

誰か他の人から評されるのならなんとなく「あり」なのかもしれないけれど。

 

お?

 

ということは、コミュニケーション能力というのは、自己分析、自己評価ではなく

 

他者分析なら可能なのか。

 

 

ふむ

 

 

ということは、他者を見ることなら可能

 

 

つまり

 

模倣

 

ってことか。

 

見えてきたぞ。

 

 

教育で教養を身につける方法が。

 

 

 

奥が深くて楽しい思考だ。

 

 

 

今日は「教養」にまみれてみるか

 

 

 

今日だけに。

 

 

 

るるるー