AIに雇用を奪われる、だとか
大学が、とか
受験だ、とか
そういうことのもっと手前に教育にとって大切なことがあるのではないか。
それを見ずに通過して、いよいよ選択の前になったときに
慌てていろんなことをやろうとするから
意識と手間とお金が無駄になるのではないか。
人が人を育てるって何なのか。
人とは何か
何を身につけながら育つべきなのか
育てるべきなのか
僕が何度も書いてきている「コミュニケーション」というもの
やはり人はそれだろう、と。
この連休、有益なコミュニケーションを家族でどれだけできるか。
「有益」とは「子供が脳みそを使う」ということである。
問い、頭の中にその問いを留め置き、答えるために思考する
その答えの言語化に親が反応する。
そうやって言葉のキャッチボールを繰り返しながら
これからの5日間でどれだけ子供の脳みそを成長させられるか
どこに行くか
何を見るか
何を楽しむか
そういうことは二の次、三の次
渋滞が嫌?
むしろ渋滞してくれた方が車内で言葉を交わす時間が増えるのでは?
僕は渋滞に1ミリをイライラしないのはそう考えるからである。