それはね
結局人はどこかのコミュニティの中でしか生きていかないからだよ。
人生の柱をどこかにぶっ刺して
その柱を支えながら他の人たちに手を差し伸べる。
「さあ!一緒にやろうぜ!」
って。
そのコミュニティの中でどれだけ充実できるか
どれだけ楽しいか
どれだけ何かを生み出せるか
どれだけ必要とされるか
結局、人生っていうのはそういうものなのだ。
確かにどの大学を出るかってのは大きな要素だと思うよ。
「その柱は太いほうがいい!」
という価値判断ね。
確かに確かに。
でもさ
例えば本当にその柱を支える力なしでその大学を出たらどうなる?
ぶっとい柱を渡されて
「君に期待してるよ」
なんて言われて、ドス!!という重さの柱。
確かに頑丈だ。
でも
あまりにも太すぎて、まずしっかりと安定する深さまでぶっさせないかもよ?
その力がなかったら。
ね?
ぶっ刺したあと、その柱が太すぎて、掴まるどころか、両手でしがみついていないといけないかもよ?
そしてら、他の人に「ほら!こっち!!」って手を伸ばせないよね。
そうやって、学歴だけを心の支えにして生きてる人たちだってたくさんいるよね。
勉強は誰かが用意した「答えのある問題」ばかりだ。
でも
それじゃ柱を掴んで周りを見れない。
自分はどこかのコミュニティや業界で
自分の発想と行動と言葉で生きていかないといけないんだ。
そこに「正解」なんてない。
探すんだ
判断するんだ
覚悟するんだ
そして
伝えるんだ
分かり合うんだ
その力
全部勉強の外側に「プラスアルファ」として存在してる。
僕はそう思うよ。