昨日、我が天使な奥様に質問されて答えたことだ。
僕のように活字中毒の人間にとって、活字とは
自分の好きなようにカスタマイズできる武器
映像だと、その刀は映し手の意図によって固定化されてしまう。
しかし活字はどうだ。
その刀の鞘の部分だけを500文字で描いてもいいのだ。
その鞘が何に似てるか。
触り心地は何を触った時に似てるか
視点を遠ざけたり近づけたり
未来に行ったり過去に戻ったり
何をどう、どこから描いても許される武器。
映像では無理とは言わないが、映像を見ている人にそういう「情報速度の変化」はストレスでしかないからね。
活字は違うんだ。
活字は映像以上に人を奥底に引き摺り込んでくれる。
いきなり出てくるその言葉で
魂を鷲掴みにすることも可能。
それを自在に操る快感。
神記事は、それを使い倒した先にあるんだ。