言葉を知らないということは、
その言葉が表している世界を知らないということだ。
その充実の蓄積
その欠落の蓄積
怖いのは、その蓄積の差がある者同士が常にコミュニケーションというものを通して交わることなんだよ。
え?何それ…
マジか、こいつ知らないのかよ
という、一瞬のコミュニケーションの連続が
他者との関係をはっきりと決めていくんだ。
言葉を知っている者はその世界を知っていて
周りから「その世界を知っている者」として認められ、扱われる。
言葉を知らない者はその世界を知らず
周りから「その世界を知らない者」として認知され、扱われる。
単に知識云々の話ではない。
例えば「労わる」という言葉を知らない者は、
果たして真に人を労わることができるだろうか。
勉強ができなくも人に優しくできる子に
そう願えど、言葉を知らない者が人に優しく言葉をかけることができるだろうか。
大丈夫?ねえ、大丈夫?大丈夫なの?
としか言えなければ、相手の感じる「君の優しさ」も変わってきてしまうのではないか?
そう思うんだ。
三語短文で苦労している子は多い。
でも、全く苦労していない子も多い。
分かってほしいんだ。
たかが生まれて十数年の中で、それだけの差が生まれていることを。