学校の先生や塾の先生だけじゃない。
人と人が言葉を介して繋がる時
その全てにおいて大事なことだ。
相手に伝えたいこと
それを言葉にする。
そしてそれが音や文字で相手の耳や目に入る。
その時、それがどれだけ実際に相手の脳や心に届くか。
同じ言葉を使っても、
相手が違うのであれば届き方、染み込み方は違う。
もちろん、相手の年齢や性別によっても違うだろう。
当たり前のことだ。
言葉を発信するときは
その「違い」をどれだけ意識的に捉えられるか。
僕は普通の人よりも「目」が武器だと自覚している。
目の大きさじゃないよ?
笑
僕が「映像」として捉える相手の情報
僕が話している時、僕は必ず聞いている人を見ている。
目の動き、表情、そのほかの部分の動きを。
そこから得る情報が、次の瞬間の自分の言葉を決める。
そうやって紡がれてく僕の言葉が
ネバネバと繋がっていくのが僕の授業
納豆英文法っていうのは、何も特殊な指導理論じゃない。
目の前の子達が少しでも躓かないように秒単位で修正しながら進む授業
それが納豆英文法。