親はさ、子供の幸せを願ってるんだよ
健康で、毎日幸せに、楽しく、行きていってもらいたいんだよ。
切に切に
そう願ってるもんなのよ。
でさ、
親の願う「幸せ」っていうのはさ
別に大それたもんじゃないわけ。
少しの余裕を感じる経済状況
人に誇れ、自分も満足できる仕事
幸せな家庭
健康な身体
明るい笑顔
笑い声
別にさ、何百億も稼ぐような
そんな金持ちにならなくても
別にさ、自分の命を投げ打ってでも
人の命を救う人にならなくても
親ってもんは
全然、納得できるもんなんだよ。
ただ、子育てをしていると
どうしても頭から離れない
「可能性」
「保証」
というワード。
どうすれば、我が子はその「幸せ」を手にできる可能性が大きくなるのか
100%とは行かないまでも、それに近い保証を感じられそうな道はないのか。
そう考え、必死でそれを手にしようとする。
多分、人類は千年後も変わらないんだと思うよ。
親という生き物は、多分変わらない。
変われない。
我が子が
我が子だけが
大事だから。
ただそれだけなのに
なんで、どんどんどんどん
子供に勉強を強いてしまうのか。
何を求めていたのか
そこに、親のエゴや見栄が
知り合いの子との競争?
親同士の争い?
世間体?
そういう要素は
入り込んでやしないだろうか。
「親」という生き物は
一筋縄ではいかないのである。